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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」08 金鶴泳(きんかくえい/キムハギョン)(その2)
*朝鮮戦争(仁川に上陸する国連・米軍)著作者:米国連邦政府/1950年/パブリックドメイン/Korean War Montage 2.png
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金鶴泳──不遇を生きた在日二世作家(その2)
2.父との確執
父は目先の利く働き者で、朝鮮料理屋やパチンコ店などの経営で成功し、一家は経済的には豊かだった。
小説「鑿」の景淳の父は焼き肉屋と喫茶店を経営しているが、学校には通えなかったので文字を読めない。だが人一倍の努力と才覚で成功した。
金鶴泳の父は文盲だったので、必要なときには長男である廣正少年に読ませたり必要な場合は書類を書かせた。
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朝鮮戦争が勃発したとき、金廣正は小学校6年生だった。戦争が休戦になるまでの3年間、毎日朝夕父のために新聞を読んで聞かせなければならなかった。
小説「冬の光」で、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を支持していた父は、国連軍が優勢だと機嫌が悪くなった。父はカッとなるとみさかいなく、金鶴泳自身を投影した少年顕吉が可愛がっていた飼い犬を殴り殺して河原に棄ててしまった。
新聞を読む時間は廣正少年にとっては恐怖の時間だった。
金鶴泳の父も機嫌が悪いと母を打擲する日常だった。気をつめて働く父は気に食わないことがあると、鷹揚なところのある妻を打擲し引きずり回した。
「錯迷」に次の記述がある。
私は昔から醜悪なものが嫌いだった。醜悪なものを見ると、私はよく、心が顫えてくるような、抑え難い怒りに襲われる。…略…私にとって、この世における醜態なものの最たるものは、父母の争いだった。
父は気に入らないことがあると卓袱台の上の食器を一つ一つ無言のままゆっくりと台所の土間になげつけはじめる。子どもたちが食事中でもかまわず、おかずやご飯の入った茶碗を投げつけ、砕いていく。全部投げ終わると、流しに立っている母のところに行き、陰険な声で罵りながら殴る蹴るの暴行を加えるのだ。
小説の主人公と同じく金鶴泳にとっての原体験は両親の夫婦喧嘩なのだった。
李恢成の父も暴力的で母を殴ったことを書いている。しかし三男の李恢成がやんちゃに育ったのと対照的に、廣正は父の拘束と強圧的な態度によって小心で脆弱に育った。自身の考えを言い出せず、吃音が深まった。父との関係が金鶴泳の吃音と無関係であるわけがない。
父の故郷は朝鮮半島の南にある慶尚南道だが、北側の朝鮮民主主義人民共和国を支持して朝鮮総連に属していた。金鶴泳は無知な父を嫌い、父が押しつけるイデオロギーを嫌悪した。
金廣正は高校を卒業した頃ついに家を出た。大学進学とは暗い家から出て下宿できる、家から逃げ出すための手段だ。
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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆参考文献
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!