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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第4回 イタリア・プーリア州篇(2)
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(2)心に残る小説とドラマの舞台、南イタリアへ
イタリア・プーリア州が旅先候補に浮上したのは数年前、イタリア在住のSNS仲間が投稿した洞窟都市マテーラの写真を見た時。石灰石の丘陵全体が洞窟住居で──有名なトルコのカッパドキアのように──覆われていた。
アーティストのその方は美術的側面から街の魅力を綴られたけど、私はまずそこがイタリアであることに驚き、その情景が忘れられなくなった。
行き方を調べると、当時ハマっていたTVドラマ『私は刑事ロボスコ 南イタリアの事件簿』の舞台プーリア州・バーリから電車で2時間ちょいではないか。
同じイタリアでも、過去に旅した北のトリエステやベネチアとはまるで異なる景観と雰囲気。長い歴史のなかで州都になったり、国の恥とまで蔑まれる地域に落ちぶれるなど毀誉褒貶の激しさにも旅心と好奇心をそそられた。
今でこそ南イタリアといえば欧米セレブに人気のリゾートエリアといった印象だけど、ほんの100年ほど前まではイタリアの南北格差の象徴であり、政治犯の流刑地になるほどの辺境。
その現実が綴られた2つの文学的ルポルタージュ『南イタリア周遊記』『キリストはエボリで止まった』は、どちらも未知を知る興奮と文章の格調高さに息をのみ、ところどころ思わず書写しながら読んだ。欧州教養人の知の底力を再認識した読書体験でもあった。
さらにもうひとつ、数年前に寝食忘れて没頭したエレナ・フェッランテの長編小説『ナポリの物語』(全4巻)の舞台、ナポリに立ち寄れる距離感にもトキめいた。
ともに成長した仲間のように感じていた2人のヒロインが生まれ、育ち、愛憎と挫折と後悔を織り成しながら歳を重ねたあの街にも行きたい。発とうと決めてから数年ぶりに再読した『ナポリの物語』を読み終える頃には、南イタリア行きをまるで長年の友だちが住む街を訪ねるように感じている自分がいた。
12日間の旅を、前半イタリア・プーリア州篇と、後半ナポリを拠点に周囲をめぐったナポリ篇に分けてつづってみたい。
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イタリア・プーリア州をめぐる旅のお供に選んだのは、
1857年、イギリス人作家ジョージ・ギッシング『南イタリア周遊記』小池滋訳、岩波文庫
1902年、イタリア・トリノ生まれの医師、画家、作家カルロ・レーヴィ『キリストはエボリで止まった』竹山博英訳、岩波文庫
1982年、同トリノ生まれの作家パオロ・ジョルダーノ『天に焦がれて』飯田亮介訳、早川書房
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バーリ空港から市内中心地のバーリ駅までは電車で約20分。
駅舎を出ると、ライトアップされてキラキラ光る噴水を囲むにぎやかな駅前広場が迎えてくれた。疲れていても初対面の街の匂いを嗅ぐと、お腹の底からわくわくした感情が湧き出す。
いくつになっても、何度旅を重ねても、初めての街に一歩踏み出す瞬間の心細さと喜びとスリルが好きだ。
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