林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その1)
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高史明──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その1)
高史明を知る人の多くは『生きることの意味』の著者としてだろう。そしてもしかすると、岡真史の詩文集『ぼくは12歳』を編んだ父親として知る人もいるかも知れない。はたまた昨今は親鸞の教えを説く宗教者と思っている人がいるかも知れない。
高史明は在日朝鮮人2世で、戦後日本共産党の地下活動家として苦難の道を歩み、その経験を素材として書いた『夜がときの歩みを暗くするとき』で作家デビューした。
1) 在日2世として生まれる
高史明は、本名を金天三という。
1932年1月山口県下関に生まれた。父金善辰と母裵景順の次男として生まれた。両親は石炭置き場で働く石炭仲仕だった。3歳上の兄春明がいた。
母は天三が3歳の時に弟を産んですぐに死亡した。弟は養子に出された。
天三が生まれたのは、「日韓併合」から12年後だ。
朝鮮では併合と同時に土地調査事業が遂行され、近代的土地所有が確定している。そのため官有地や村の共有地、地主のいない土地などが国有地として接収された。土地を奪われた農民たちが流民化していた。
この年、日本に在住する朝鮮人は40万人ほどだった。
天三は、下関市彦島江ノ浦町にあった朝鮮人部落に育った。石炭置場側の窓一つないハモニカ長屋だった。
時代は戦争だ。1937年7月7日盧溝橋事件が起き日中戦争が勃発した。
翌年、天三は下関市彦島の江ノ浦尋常小学校に入学した。
名札には兄が「きのしたたけお」と書いた。
同級生たちは新しい洋服を着、母親が付き添っている。天三だけは兄のお古を着て下駄履きだった。
下駄の緒はすぐ切れるため父がワイヤーを鼻緒にしたため足の甲や指の間の皮が剝けた。血が出ても履き続け傷跡がたこになった。歯はすり減り薄い板になり割れるまで履いた。
兄は優等生だったが、天三は自信を失って乱暴者になっていった。そのため厳格な父とたびたび衝突し、夜の町を徘徊しお女郎さんに可愛がられるような少年だった。
→高史明(その2)へつづく
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◆参考文献
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵! (編集部)
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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
*写真:著者撮影