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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第4話 真葛の文体を培ったもの――真葛落穂拾い(1)
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前回(「幕末人物列伝3」)にひきつづき、只野真葛をとりあげる。4回目の今回は、前回書き落としたことを記す、言ってみれば落穂拾い篇である。
真葛が文章を書くようになったのは、三十代半ば以降、再婚して仙台に赴いてからのことだった。それ以後彼女は、紀行文、消息文(手紙)、回想録、聞き書にもとづく説話、そして文明批判の射程をもつ論考という具合に、小さな枠におさまりきらない非凡な書き手になったのだが、散逸して見あたらない重要な著作物や、研究者にとって不可思議な「謎」とされてきた一篇もあり、その空白を埋める作業はこれからだという感じを、私はもっている。
今回考えてみたいのは、書く人、そして考える人としての真葛の文体(流儀)を培ったものは何だったのかということ。その答えを探るなかで、過去の人ではなく、むしろ未来を照らす人としての真葛の像を育ててみたい。
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1 女子と小人はわれ知らず?
只野真葛(工藤あや子、1763―1825)は少女時代、父工藤平助(1734―1800)に漢文(儒書)の勉強を禁じられた。
真葛のうけた傷は深かっただろう。だが長いまわり道のすえに、自分が儒書にからめとられなかったことを一種の僥倖として受けとめうるだけの視野を、真葛は独力できりひらいた。
ライフワークの『独考』(1817年完成、18年序文)には、「女子小人」を見くだす儒教の考えを正面から批判するくだりがある。
残念なことに、そのくだりの多くは散逸してしまっているが、真葛が最初の読者に選び、添削と出版の斡旋をもとめた曲亭馬琴(1767―1848)による、尋常でなく執拗で長大な反論「独考論(独考といふふみのあげつらひ)」(1819年)での引用部分から、その内容をうかがい知ることができる。
――孔子さまは、女子小人はわれ知らず、とおっしゃられたとか。私もその女子のひとり。それでは、先生がご存じないということを申し上げてみましょうか。
さらに真葛は、孔子、十哲(顔回、子路ら孔子の十人の弟子)、孟子を批判したうえで、こう書いているという。
――物を学ぶさいには、先生の欠点や悪い癖などを、弟子はそのままわがものにしてしまうもの。女子小人については取り扱いにくいとおっしゃったのは、孔子の心の行き届かないところである。この気が利かないところがいちばん人受けしやすいので、学者になれば、女子小人など取るに足りぬ、と見くだしておけば、いかにも人物というふうではあるが、そこから実は人の気持ちが離れていくのである。
このくだりに対する馬琴の評価は、全否定にひとしい。
第一に、孔子がおっしゃったのは「女子小人はわれ知らず」ではなく、「女子と小人とは養い難し」である。
第二に、孔子が表現したかったのは、聖賢をあなどり嫉妬深く、近づければなれなれしく、遠ざければ恨みねたむ、女子と小人への嘆きの念である。
こう書く馬琴は、『論語』の本文をさえ読みもせず、聖人を恨みあなどるあなたは、その女子の一人ではないか、と決めつけている。
![](https://assets.st-note.com/img/1738413221-rZ1thsKa4AyXLmuceWbHTqjk.jpg?width=1200)
画:柳川重信, 柳川重信二世)
残念ながら、これを読んだ真葛の反応もやはりつたわっていないのだが、その沈黙から私は、お能の「べしみ」の面を連想する。その面は、口をへの字型にぎゅっとつぐみ、眉をしかめ、何を言われても返事をしないという精神を表現している。
多田道太郎の言葉を引くと、
「権威と圧力とが支配している世の中で、まともに答えることは圧力に服することにつながってゆく。そこで、むかしの征服され、圧服された神々は、一切新しい神の威力にとりあわぬことにした、それがべしみの面の起源である」(『遊びと日本人』)。
→ 真葛の文体を培ったもの――真葛落ち穂拾い(2)へつづく
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※ヘッダー写真:能面「小癋見」東京国立博物館蔵 (パブリックドメイン)
◆参考文献
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◆著者プロフィール
野口良平(のぐち・りょうへい)
1967年生まれ。京都大学文学部卒業。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。京都芸術大学非常勤講師。哲学、精神史、言語表現論。
![](https://assets.st-note.com/img/1738414451-tzRIWhFKc8UJ3XCP5TkApqog.png?width=1200)
『幕末的思考』みすず書房/『『大菩薩峠』の世界像』平凡社
〔著書〕
『「大菩薩峠」の世界像』平凡社、2009年(第18回橋本峰雄賞)
『幕末的思考』みすず書房、2017年
〔訳書〕
ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』共訳、みすず書房、2011年
マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』 みすず書房、2019年
〔連載〕
「列島精神史序説」(「月刊みすず」2020年7月号~2022年9月)
「幕末人物伝 攘夷と開国」(けいこう舎マガジン)!!!!!!
〔近日刊〕
共著『読書アンケート 2024 識者が選んだ、この一年の本』みすず書房
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◆著作権等について
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(編集人)
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