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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第3回 ブルガリア篇(11)

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ブルガリア篇(11)
夜更けに迷う異国人を車に乗せてくれた夫婦


 ふと気づくと9時近かった。長かった1日の疲れと酔いを急に感じて歩いて帰るのが億劫になり、タクシーが苦手な自分としては滅多にないことだけど店の人に一台呼んでもらった。

 時間が来て外に出ると、道の反対側にタクシーが一台。名を告げると、待ってる客はあんたじゃない、という。
いえ私です、と粘ると突然、ちがう、あっちへ行け(雰囲気訳)と声に怒気をにじませた。
 殴られたような気分になった。アジア人フォビアだろうか。
あの時、なぜすぐに店に助けを求めに行かなかったのか。
酔いと疲れで頭が働かなくなっていたのと、じゃ歩いて帰るわ!(来た道を戻ればいいんだから!)という幼い敵がい心がドッと込みあげ、次の瞬間にはタクシーと反対方向の住宅地に駆け出していた。走るといったって、日常生活で走ら(走れ)なくなって幾歳月、早足が関の山だったけど。

 テンパった気持ちのまま、がむしゃらに歩くうちに雨まで降ってきた。そこに至ってようやく変だと気づく。どうやら来た道とは違う。静かな住宅地の車道にはバスも車も通らない、とにかく大通りに出ようとひたすら足を早める。すると、神の助けか100メートルあたり先に停車中の車と、高齢男性らしき人が車と家を往復して荷物を運んでいるシルエットが見えた。
 かけよってホテル名と地図を示しながら、道を教えて、と英語で言うと、首をふってわからないという仕草。落胆のあまり黙り込む私に、ちょっと待て、というふうに告げて家に入ると、今度は妻らしき女性も出てきて、ホテルの住所を書いて渡した私のノートを見ながら何か話しあっている。
 そして、車に乗れ、ホテルまで送ってあげる、とジェスチャー。
 え!?
 知らない人の車に乗るなどとんでもない。映画やドラマではこんな場合、乗ったら最後、強盗か誘拐か殺されるか、ろくな展開にならないではないか。

 ひるむ私をよそに二人はさっさと車に乗り込み、後部座席の扉をあけて手招きする。夜はふけ、雨足はさらに強まり、知らない街をこれ以上さまよい歩きたくない気持ちが、悪い想像にまさった。
運を天にまかせ、結局乗りこんだ。賭けに外れたらその時対処しよう、としか考えられないほど疲れを感じていた。
 二人は英語ができず、私はこの旅の出発前夜に即席でおぼえたブルガリア語の挨拶5つしかできない。二人の気配に全神経を集中しながら、指は後部扉の取っ手にかけたままにした。少しでも不穏な空気をキャッチしたら、車の速度が落ちたタイミングで扉を開け、飛び出そうと思っていたから。

 5分ほど走っても車窓の景色に見覚えはなく、間違えた道をかなり遠くまで来てしまっていたとわかって愕然とした。タクシードライバーのひどい態度に、自信があったはずの方向感覚まで狂ってしまったんだ。
さらに10分ほど走ると周囲が街の灯りで明るくなり、見覚えのあるヨーロピアンユニオン駅周辺にいることがわかった。妻が振り向いて、あのホテルでしょ、というように指差し、次の角で車を停めて降ろしてくれた。
安堵と感謝のあまり、声が喉に絡まってしまう。ブラゴダリャ(ありがとう)と、ただひとつのブルガリア語をバカみたいに重ね、ご親切はわすれません、どうかお元気でお幸せに、と英語で付け加える。

 どういたしまして、というように二人は首をふり、さようなら、いい旅を(雰囲気訳)と手を差し出してくれ、それぞれと握手したのち車は遠ざかっていった。
 ホテルの部屋に戻り、シャワーにかけこんで雨に濡れた体をあたためた。温かな湯を浴びて体も心も安心したのか感情がこみあげ、涙があふれて止まられなくなってしまった。まっすぐな親切心を疑った自分が恥ずかしく、二人にあやまりたかった。

 ごめんね優しい二人。疑ったことを許して。どこの馬の骨とも、なに人(結局、最後まで訊かれなかった)とさえわからない私を夜更けに車に乗せ、送ってくれてありがとう。
世界のどんな街にも親切な人がいること、助けられたこと、この旅もまた無事に終わろうとしていること、旅だけじゃない、これまでの人生どんなにたくさんの優しい人に助けられてきたか……。
さまざまな思いが次々せりあがってきてほとんど嗚咽していた。私には神がいないけど、どこかのなにかの神に感謝せずにいられなかった。体がすっかり温まっても涙が次々にあふれ、シャワーの湯気のなかで堰が切れたように泣き続けた。
(了)

さよならソフィア。初夏の街角を彩っていたバイカウツギの白い花

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【寺田和代さんの本】

『Soliste[ソリスト]おとな女子ヨーロッパひとり旅』
『Soliste[ソリスト]おとな女子ヨーロッパひとり歩き』
(ともにKADOKAWA)
『きらいな母を看取れますか? 関係がわるい母娘の最終章』(主婦の友社)
共著『〈記憶の継承〉ミュージアムガイド』(皓星社)


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