とらぶた自習室(9)勉強メモ 野口良平『幕末的思考』第1部「外圧」第5章-3
野口良平『幕末的思考』みすず書房
第一部「外圧」 第5章「残された亀裂」-3
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筆:栗林佐知(けいこう舎)
2023年2月15日のメモ
■「こっそり」に踏みにじられた犠牲者たち
行列を横切ったイギリス人を斬ったり、外国商船を撃ったり……。
薩摩・長州は「攘夷」の急先鋒だったはずだ。
ところが新政権を樹立し、主導者の地位を独占する過程で、彼らはいつの間にかこっそり「転向」した。
こっそり隠して転向したために、大きな混乱が生じた。
混乱の中で事件が起き、悲惨な犠牲者が出続ける。
新政府に味方すると決めた藩の武士たちは、当然、薩長政権は「攘夷」で行くと思っただろう。
そう思って行動した末端の武士たちが、外国人と接触し、先方に犠牲者が出る。
すると新政府は、フランスやイギリスら列強から「責任をとれ」と迫られたことを、逆に利用した……と著者は読み解く。
混乱の中で起きたのは、鳥羽伏見の戦いからほどなく発生した、神戸事件と、その一月後の堺事件だ。
秩序に従って行動し、刑死しなければならなかった前線の人たち。
本当にあんまりで、やりきれない。
【神戸事件】
これまで攘夷の急先鋒だった薩長の新政府が、まさか「開国」を是としているとは知らずに、隊の前を横切ったフランス人を槍で突いた備前藩の兵たち。
怒ったフランス軍と小競り合いになる。
新政府は、列強に迫られ(た、というよりは自ら進んで)末端の武士を切腹させた。
【堺事件】
神戸事件の「切腹」の13日後、 土佐藩の軍が、備前藩兵と同じように「攘夷」が新政府方針と考え、元から生粋の攘夷派だった隊長の発砲命令によって、外国兵9人が撃ち殺された。
新政府はやはり、列強の意を迎えて20人を切腹させることに決め、「発砲した」と答えた29人から、くじ引きで決まった兵士たちを切腹させる。
ひどい!!
■新政府のもくろみ
欧米列強から「責任をとらないと日本全部を攻撃する」と脅されたことを、薩長新政府は、自分たちを対外的に認めさせるチャンスに変える。
またしてもあざといレトリックを使い、あとからするっと出した「対外和親の方針を掲げた布告文」に基づいて、攘夷が方針だと信じた将兵たちを「違反者」にしたてあげ、刑死に追いやったのだ。
しかも、この布告文は言い回しが曖昧で、天皇や自分たちがどうして開国派になったか、はっきり言わず、自分たちの「転向」をさらにちゃっかり隠しているのだそうだ。
こんなことで神戸事件の「責任者」として切腹させられた、鉄砲隊の隊長、滝善三郎はあまりに気の毒すぎる。聞くだけでもやりきれない。
「開国が国是とは承知していなかった」という滝の陳述は、新政府によって改ざんされ、「私が独断で発砲を命じた」と列強側に報告されたそうだ。
滝善三郎たち備前藩の将兵も、土佐藩の武士たちも、藩の命令でごくまじめに、任務として、新政府側に味方するため従軍して、神戸や堺に来ていたのだ。
それが、いつの間にか「新政府」上層部の方針がこっそり変わっていて、変わったことも、理由も、あとからさえ報告もされないのだ。そして、ばっくれた上層部の命令で、罪人として死ねという。 まさかこんな死に方をする者が出ると、誰が想像しただろう。飲んだ息が胸の中で凍りそうだ。
堺事件は、大岡昇平が最晩年に『堺攘夷始末』という小説に書き、未完で亡くなったそうだ。
それにしても……。薩長め、なんてやつらだー
西郷さんは、錦の御旗をたてて「正統派」の座をちゃっかりうばっちゃった盟友、大久保たちのやり方を「臆面もなくて恥ずかしい」と言ってるそうだけど、でもねー。
私は以前、司馬遼太郎『翔ぶが如く』で「責任感の強い為政者」と書かれていた大久保利通ファンになってたので、えらくくやしい~
*ヘッダー写真:パブリックドメイン
慶応4年2月15日(1868年3月8日)に和泉国堺町内で起こった堺事件
ゴドフロワ・デュラン - Le Monde Illustré
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