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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」08   金鶴泳(きんかくえい/キムハギョン)(その1)

*ヘッダー写真(撮影:Tomasz Sienicki、2003年/Northern Denmark(Hjørring - Hirtshals line)/08 tory railtrack ubt.jpeg/CC 表示 2.5/トリミング

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金鶴泳──不遇を生きた在日二世作家(その1)


1.在日朝鮮人家庭に生まれて

 金鶴泳は1938年9月14日、群馬県多野郡新町(現:高崎市新町)に生まれた。本名を金廣正(キム・グァンジョン)という。

 父は金栄好(キム・ヨンホ)、母は朴庚順(パク・ギョンスン)。7人弟妹の第一子だった。本籍は慶尚南道蔚山郡三南面宝隠里。

 父は1923年、12歳で渡日し茨城県に住んでいたが、関東大震災のさいには祖父家族とともに警察に保護されて命拾いした。

「保護」された朝鮮人らを視察する山梨半造関東戒厳司令官(習志野俘虜収容所(習志野廠舎))
撮影者不詳 /撮影:1923.9.28/『画報日本近代の歴史 9』三省堂、1980年 パブリックドメイン/Gaho-Nihon-Kindai-no-Rekishi-volume-9-7.jpg


金鶴泳は後に、警察はほんとうに保護するために祖父や父たちを収容したのか疑問に思った。諸外国使臣らの抗議で当局の方針転換がなかったなら、祖父たちは殺害される運命だったのではないか?

 
祖父母、叔父らも同時期に渡日していて、震災後 父金栄好は祖母孫栗伊(ソン・ユリ)が働く前橋の近くに越した。

群馬県庁からの赤城山と前橋市街/撮影:Javbw 2008.2.27/
Maebashi20080227.jpg/CC表示 3.0

 祖父が死んだとき廣正は7歳だった。その3年前に父の弟である叔父が肺結核で亡くなっている。父の3つ違いの弟は27歳の若さで死んだ。叔父は品川の工場で働いているとき事故にあい、片手の指を2本失い片目も潰れてしまった。そのあげくの肺炎だった。

 祖母孫栗伊は1925年に鉄道自殺していたことを後に知り、「土の悲しみ」などの作品に書いている。

 祖母は家の近くの線路で鉄道自殺していた。轢断された遺体は線路際の土中に仮埋葬されたまま行方不明になってしまい、後年父が墓を作ったときには見つからず、線路際の土を骨壺に納めた。
このことを知った金鶴泳は自分のなかの不安の根源を探り当てた気がした。金鶴泳は祖母の死について、祖父の横暴に耐えかねたのではないかと考えた。

 廣正は1945年、日本の敗戦の年に小学校に入学した。日本の敗戦を知らせる天皇の放送は神社の境内で聞いた。この年祖父が67歳で死んだ。

 小学校入学以来の日本名は「山田」だった。この通名は群馬県立高崎高等学校卒業まで使った。

 小学校時代に中耳炎を患って手術を受けるも、やや難聴が残った。


金鶴泳(その2)につづく

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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。

◆参考文献

◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!

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