![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/80182980/rectangle_large_type_2_6ee6f190c8dc59965fa656b19c439b82.jpeg?width=1200)
宣教活動
私が他人が経験できなかった面白い話はなにがあるか, 考えてみたら、真っ先に思い出されることがありました.
昔、父に無理やり連れて行かれ宣教活動をしに行った記憶です.
1.宣教活動地についての簡単な説明
まず、私が宣教に行ったところはフィリピンのクラークという地域です.
クロックという地域はフィリピンの立ち遅れた地域でもなく、
写真のように建物もちゃんと建てられています.
こんなに豊かに暮らしている人さえいれば、
私たちが宣教活動をしに行くこともなかったでしょう.
私が行った地域にはアイタ族という民族が住んでいました.
アイタ族は人権がまともに保障されていない民族です.
民族も違うし、使う言語も違う, 少数民族です.
そのため、人が多く住んでいる市内には住まず、やせ細って高い山地に住んでいます.
私たちはこの人たちの豊かな生活を願いながら宣教活動に行ったのです.
でも私は無理やり連れて行かれただけです.
2.私が行って手伝った仕事
私がこの人たちが住んでいる村に行って助けたことは生必品と食糧の調達です .
この人たちは文明の助けを受けずに生きる自然人たちと変わらない人たちです
そこは農作業ができる土地がほとんどないので食糧不足で苦しんでいます
そのためタオルや古い靴、食料などを調達します.
最初は車で移動したのですが、
後には車で登れない傾斜が高い道を上がらなければならなかったので、
足で歩いていきました.
山に登る時、私は10kgの米袋二つを背負って登りました.
お米を全部調達した後は、すぐ食べられる鶏粥を配給しました.
そこには食器道具がなくて 子供たちは 熱い鶏粥を全部素手で食べました.
そして記憶に残ったのが、帰りの時間になって山を下りようとするのに問題ができました
雨が急に降りすぎたせいで、山を降りる途中の道で
私のお腹まで届くほど水がたまってきました.
水の流れも強くて一歩一歩が大変でした.
そして歩くたびに足が泥に埋もれて危険でした.
つらい旅を終えて帰ってきて感じたことが多かったです.
悟ったというよりは感じたことでした.
皆さんもテレビで「アフリカの人々を助けよう」という放送をたくさん見てきたでしょう。
僕も同じです.
そんな放送を見てもただ同情心を少し感じるのが全部でした.
しかし彼らの生活を直接見て帰ってみたら,
私の小さな不幸に寛大になる心がまえを持つようになりました.