紙芝居屋を辞めようかと思っている。
「紙芝居屋を…やめようと思っているんです」
半月前のイベントで、先輩にお会いした時
ふと口をついて出た言葉だった。
先輩は、(あぁ、またいつものとらちゃんの〝癖〟が出たな)という顔をして
「まぁ、そんな真面目に考えることはないさ。
やめるとか、やめない、っていうもんじゃないでしょう
とらちゃんにとっての紙芝居は」
そう笑ってくれた。先輩のその言葉とリアクションは、とても救われた
物事に対して、いつでも白黒つけたい…というわけではないのだが
ひとつのことをやっていると、それ以上のことが考えられなくなるので困っている。
二つのタスクを同時に、こなせない。
「ゴルゴ13」でデューク東郷が
「1件の依頼人は、つねに1人と決めている‥‥‥」
と言っていたのに感化されてかどうかは忘れたが
自分も1件の仕事の依頼(紙芝居制作)中は、それだけに集中したいので…などとほざいて、紙芝居の依頼を断っていたこともあった。
なんなら今もそうしている。
でも、それは、自分がデュークのように
「仕事屋」だからではないのだとわかった。
単純に「能力不足」なのだ。
ただ、できないだけ。
情けない話だが、無理なのだ性質的に。
だもんで、これまで自分のことを「不器用」だと思ってきたけれどなんのことはない、いわゆる、ADHDの特性である。
さて。コロナ禍で
「第一次紙芝居屋やめたい衝動」が発動した。
目立つ理由は、仕事がなくなったからだ。
一時は立ち直ったが
「第二次紙芝居屋やめたい衝動」がまた発動した。
理由は、多分「鬱」になったからだろう。
あのとき、一か月間、殻に閉じこもった。
義母の急逝や、子宮の手術、コロナ終息の終わりが見えない等
色んな理由があったように思う。
その「第二次~」で、引退宣言をした。
そして私は〝ニッチな紙芝居屋さん〟になったのだ。
そのことはyoutubeの方で発言している。
今思えばあれが、自分自身にたいしての
「けじめ」だったのかもしれない。
あれから、二年が経って
なんとかまた立ちなおったりもしたが
どうも、全盛期とは違うのだ。
いや、そもそも
全盛期がいつなのか、どんなのだったかさえ
忘れてしまったが
何かいつも
「違う。こんなのじゃない」
と思いながら生きている。
では、何がしたいのか?
というと、わからない。
おかしな話である。
あんなに好きだった
演劇や紙芝居のことを考えても
何も心がときめかないのである。
マンネリ化…というヤツだろうか?
わたしは、飽き性である。
そして、マンネリが大嫌いである。
いつでも新しい刺激が欲しいのである。
一度、すっぱり「やめる」ことで
この「マンネリ」から解放され
新しい刺激が見つかるやもしれない。
そうだ、何が辛いかって
頭の中に
いつでも「紙芝居のこと」があることが辛いのだ。
仕事として、やってしまうと
こういうことに悩むのだ。
仕事ではなく
遊び
こういう意識でやれたらきっと楽しめるはずなのだ。
でも、残念ながら
私の頭には「キリ丸」が住んでいる。
忍たま乱太郎に出てくるキリちゃんだ。
いつも目が¥の形をしている。
つまり、「金」にならないことはしたくないのだ。
守銭奴?いや違う。
当然のことだ。
金が無いと、生きていけないからだ。
そして私が、無類の浪費家だからだ。
いくら稼いでも
手元に残らない。
貯金ができない。
だからダメなのだ。
紙芝居で食っていく
や、
表現の仕事で食っていく!
そう決めて30年余。
なんとなく、それは叶ってはいるが
果たしてこれでいいのだろうか。
今、とても息苦しい。
誰にも、何も頼まれちゃいないのに
なんでこんなに悩んでんだろう。
バカみたいだな。
とりあえず、11月までは
制作の仕事が入っている。
逃げずに、やり切ろう。
そうすれば、道は見えてくるかもしれない。
そして、今まさに
目の前には、締め切りまで1週間の原稿が散乱している。
なるほど、勉強にとりかかろうとすると
無性に部屋を掃除したくなるあの心理か。
noteに逃げるな。
逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ…
と言いながら
また缶ビールを開けてしまった。