いじめはいつの時代でも起きる
いじめはいつの時代でも起きる。
人の評価はいつも曖昧で、相対的だからいじめはいつでも起きる。
僕の正義とあなたの正義が違う
だから、正解はない。
僕たちは、自分たちの意識の外で加害者になっている。
黙って、見て見ぬふりをしてるのはカンタン。
だって、いじめっ子に歯向かえば私がいじめられる。
それが嫌で、声をあげれない。
黙ってたら、私には被害がないからそれでいい。
私たちが大好きなのは、アイドルや俳優や友達じゃない。
自分だ。誰でも自分のことは大好き。
だから、自分が傷つくのが嫌で、手を伸ばさない。
そのいじめられてた子が死んでも、どうでもいい。
だって、私に被害がないんだもん。
ほんとにそれでいいのか?
手を伸ばして、助けようとすれば次の標的は私。
だから、嫌だ。助けたくなんかない。
結局私は何もできず、私を殺す。
それが、最適解なのか?
どうせ、助けても時間が経てば、また起きる。
だから、助けたって意味がないし、根本的な解決になってない。
では、評価が単純だったら?
それでも、起きる。いじめは、不死鳥。
私たちは、ほんとは仲良しが嫌いなのでは?
どうなんだろう。でも、私が私を殺せば、均衡は保たれそう。
では、みんながみんなを殺したら?
知らない。
だって、私は関係ないもん。