Jターン地方移住で感じたこと
移住の二文字が頭に入ったきっかけ
昨年の夏に瀬戸内芸術祭に香川を訪れたときに、瀬戸内海の穏やかな海のきらめきに心を奪われた。
豊島でぼーっとフェリーを待っていると、「仕事はなにをしている?」「どこでもできる仕事だったら移住してきたらいいよ」と話しかけられた。
それをきっかけに、移住という考えがインプットされる。
わたしはフリーランスで、個人事業主や小さな会社のホームページを作ったり、業務委託でマーケティング支援の会社の仕事を請け負ってきていた。
確かに、どこでもできる仕事だから、住む環境は選ぶことができる。
けれど、誰も知り合いのいない田舎に飛び込んで、しかも仕事はオンラインのみというのでは不安だった。
もともと不安定な仕事をさらに不安定にするなんて、それは無謀すぎると思い、地域おこし協力隊の仕事を見つけ出した。
任期は3年だが、田舎暮らしを続けられる自信はなかった。
田舎に対してネガティブな気持ちがあり迷いながら、不安もありながら、観光を通じて地方創生にも取り組みたい気持ちから移住を決めた。
移住の実際
わたしは兵庫の田舎に生まれ育ち、18歳で田舎から出たい一心で身近な都会であった神戸や大阪へ出た。
神戸育ちの友人がわたしの田舎を見たときに「どうやって生活しているのか想像できない」と言ったことを覚えている。
いま同じようにわたしも、長年の都会生活を経て見た琴平の景色に「ここで暮らせるのか」「ここに生活はあるのか?」という印象をもった。
あれだけ嫌だと思った田舎へ戻るのか・・・葛藤は否めなかった。
都落ちという言葉も浮かんだ。
けれど、それはただの感傷に過ぎず、過去の価値観とは違ったものが見えてくるはずだという期待もどこかにあった。
そして本当に移住後の世界は違っていた。
町の外から眺めた景色と、内部に入っていくのとでは全く違った景色が見えた。
人口が減っている古い観光地には、新しい取り組みの息吹が芽生えている。隠れた名店には、昔から続く密やかな活気があり、幸せな人たちが生活を続けている。
そういった発見以上に、わたし自身の田舎の感じ方も大きく変わっていた。
「なにもない田舎暮らし」が、ちょうどいい余白のある暮らしだと思えるようになったのだ。
都会に住んでいると、家も通りも街中も物と人で溢れていて密度が濃い。
それに比べて田舎は、家も広く外出先も余白がたくさんあり逆に自由を感じるようになった。
都会の生活では、物も事も人間関係も自由になんでも得られているようで、ひしめいている情報に反応的にならざるをえないのに対して、自発的に選択する余地が与えられているかのように感じる。
選ばなくてよい自由に豊かさを感じる
選択肢が多いということは、自由が与えられているようで、実は選択を迫られているだけなのかもしれない。
そのオプションに「選ばない」「見ない」というルールがないように勝手に錯覚し毎日脅迫的に選ばされ続けているのではないだろうか。
選ばなくていい田舎暮らしの余白には、美しい自然の景色がある。
若い頃に何もないと捨てた景色には、密度の濃い生命があふれていて、リアルな生を実感せざるを得ない。余白を体感するたび、開放され、日々心が軽くなっていく。
自分を縛っていた自我からも解放され、リアルな自分というものを意識し始めた。どこからともなく元気がわいてきているようにも思う。
地方移住を考えて迷っている方の参考になるように、これからも気がついたこと、幸せに感じていることやよかったこと、困ったこと弱っていることなども書いていきたい。