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【自己分析2】幼少期の自分の尊敬できたところは?

こんばんは、考察にぶっ通しで4時間使えるトラです。

今日は前回と同様、自己分析シリーズを進めていきたいと思います。
お題は前回と正反対の「幼少期の自分の尊敬できたところ」ででいきたいと思います。

自分で遊びを作ることができた

一人っ子として20年育ってきました。
そんな僕は遊相手がいません。
友達がいないと言うわけではなくて、いつまでも一緒に遊ぶ兄弟の存在みたなのがいません。

友達と遊んだ後、大体1人で家で遊ぶことが多くて、自分を使った闘いごっこやお人形遊びをしていることが多かったんです。
前回、我慢が苦じゃなかったと書きましたが、1人で遊ぶことも別に苦ではありませんでした。

1人で遊ぶことが慣れてくると、次第に「どうやって遊ぶか」を考える時間が増えたと思います。
単純に兄弟と闘いごっこをしていれば、1人がヒーローでもう1人が敵の入れ替わりで遊んでいることが普通になり、そこから進展はないかもしれませんが、僕みたいな一人っ子はもうヒーローも敵も、なりきり尽くして飽きてしまいます。

そうすると、次第にマニアックなキャラを演じていく道に進みます。
僕の中で覚えているのは、「ヒーローに新しい武器を送る博士」です。

そうすることで、勝手にストーリー設定力だったり、視点の変化を学んだのだと思います。

敵を主役の物語を考えてみたりする事が今後の展開など大まかにこうなるだろうとか、この人が協力してくれてこの人は怒るだろうなぁとか視点の変化も同様に身についたんだと思います。

「ストーリー設定→実演」の繰り返しが習慣になっていて、今でも「あれをこれしたら面白くなりそう、やってみよう!」とハードルが低いのではないでしょうか。

笑顔が可愛い

幼少期の僕は自慢じゃないですけど、べらぼうに可愛かったんです。
街に連れ出せば通りすがりの人が振り返るほどです。

誰にでも懐っこく、笑顔を振りまいていたそうです。
今では、そんな可愛らしい笑顔を振りまくことができないので、まさに幼少期の尊敬できるとこなんですが、可愛いと言われたのはシンプルに外に出る回数が多く、必然と多くの人に触れる機会が多かったんだと思います。

そして、笑えばなんとかなることを知ったんだと思います。

現在はニヤニヤした顔がデフォルトになってしまいましたが、こう言う過去から繋がっているのではないかと思います。
可愛らしい幼少期の笑顔から不適な笑みを浮かべる限界大学生になってしまいましたが、常に笑っている理由は変わらない気がします。

まとめ

自分の強みとして、ストーリー設定力から実演はとても良い武器で、社会で生きる力っていうのは意外と幼少期から構築されているのかもしれないと肌で感じました。

興味深いので一人っ子だから産まれたかもしれない強みをもう少し探してみたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございましたー!
ではまた!

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