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「面白い」から始める力

おはようございます、おじいちゃんみたいな時間に目を覚ますトラです。

今日は、「『面白い』と捉える力」についてお話したいと思います。僕はなんでも「面白い」と思う性格でそこから何か得るものがあったのかという話をしていきたいと思います。

「面白い」から始める考え方

いつから「面白い」が自分の行動原理になったか分かりませんが、最近思うことは普通のことに面白いと思うことは通常だけど、ピンチの時に面白いと思うのはある種のバグなような気がします。

自分より強敵を目の前にした時、「闘争か逃走か」という選択に迫られ、どちらにせよアドレナリンが湧き出すそうです。
闘争を選んだ時は振るう拳に力を入れるため、逃走を選んだ時は逃げる脚に力を入れるため、人間の原理としてはどちらも適切です。

自分が生きるか死ぬかでアドレナリンが出るのは分かりますが、「面白い」に行き着くのはなぜのでしょうか?
生死を感じた瞬間にバグが発生するのでしょうか?

詳しくは分かりませんが、こういうピンチとも言える状況がキッカケで「面白い」から始める力がつくのだと思います。

趣味から面白いももちろん感じることがあると思いますが、自分の意思と反する(死んでしまうような)ことを面白いとは捉えられません。
更なるスリルを求めて、どんどん挑戦していくことにも「面白い」から始める力にはあると思います。

「面白い」から始まってよかったこと

基本何に対しても面白いから始まってしまうことは僕にとっていいことばかりな気がします。

1番のメリットは興味の範囲が幅広くなりました。
こんなこと考えて行動してませんが、「新しい方にはピンチはないかなぁ」とスリルを求めてるところがあります。

飽き性なのもここら辺が繋がってきて、スリルがないとおそらく自分の気持ちが抑えられなくなるのでしょう。
また、やってみようと思うことが格段に多くなりました。不安よりスリルが勝って、不安要素を考える隙をなくしているのだと思います。

もう一つは取り組むことのハードルが低くなったことです。
周りが難しいと思っていても、「過去のピンチの経験に比べれば、、、」と思考が働き、難なく取り組むことができます。

「プログラミングとかよく出来るね」と言われますが、受験勉強に比べれば、、、みたいな感じであまり苦に思いません。

こんな風にいいことばかりだけではありません。
例えば、説教中にヘラヘラしてると怒鳴られたことがあります。
説教にもある種のスリルがあるのだと思います。
超迷惑な生徒だったかもしれませんが、もう反射みたいに「面白い」と捉えてしまってはどうしようもできません。

よくどうすればいい?と質問されますが、大体「やってみればいいじゃん」と返します。
これはそこにスリルがあるかどうか、それを超えれるか確かめてみなよという意味合いがあるのだと書いてて思いました。

兎にも角にも、後悔はないと思うのでスリルを求めて「面白い」から始まる身体を作ってみてください

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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