建築家の住宅論を読む<1>~篠原一男『住宅論』~
戦後の日本の住宅事情を振り返ってみると、庭付き一戸建てが「住宅すごろくの"上がり"」だった時代、核家族ファミリーが3LDKのマンションに憧れた時代、バブルによる値上がりで住宅が高嶺の花となった時代、コロナ禍を契機に職住の概念があいまいになった現在など、時代の変遷につれて、住宅を取り巻く環境は大きく変化し、そのたびに人々の住宅観も大きく変わってきました。
そんななか、家族や社会とのかかわりで住宅をその根本に立ち返って、さまざまに思考してきたのが建築家でした。その捉え方は、往々にして一般に流布している住宅のイメージとは大きく異なる個性的でユニークなものでした。
人口減少社会の到来、高齢化の進展、家余りと空き家問題、所有にこだわらないシェアという価値観の登場など、今、住宅を取り巻く社会と環境は再び大きく変化しています。
そこで、これからの住宅に思いを馳せながら、改めて 建築家たちが深く思考を巡らせたユニークな住宅論をもう一度読んでみたいと思います。
住宅は芸術である。
「住宅は芸術である」。篠原一男の『住宅論』(鹿島出版会,1970)は、この暴言ともとれる一言が賛否を巻き起こしました。
本書には、このほかにも、「住まいは美しくなければならない」、「住宅はその施主のために設計してはならない。建築家はその施主からも自由でなければならない」、「すまいは広ければ広いほどよい」、「敷地は設計の出発点ではない」など、テーゼのような言葉が並んでいます。
本書はもっぱら、こうした施主の意向など無視して、作家主義的な意匠に走る建築家の独善の書とのイメージが流布していますが、実際に語られているのは、至極まっとうな住宅論、建築論です。
「住宅は芸術である」という言葉で篠原が言おうとしたことは、こういうことでした。
産業化・都市化が進むなか、建築は大規模なビル、工場などが主流となった産業生産の一部となっている。日常生活機能を満足させることだけを目的とした住宅もその一翼を担い、市場の商品となっている。そんなかで建築家が作る住宅の可能性として唯一、ありうるのは、人間そのものと直接かかわる存在としての住宅以外にはありえない、ということを篠原は言ったのでした。
住宅は産業ではなく文化である。
ここでは「芸術」という言葉は、新奇なデザインやアーティスティックな造形のことではなく、人間の文化という意味で使われています。住宅は産業ではなく文化である。そう篠原は宣言したのでした。
住宅設計とは、個々の設計を通じながら人間の営みの普遍に至る創造であり、「作家」=「建築家」とは、そうした創造を担う存在であると位置づけられています。敷地の条件や都市の状況から自由で、そして施主からも自由な設計の主体性とは、そういう意味を指しています。
本書が1970年に出版されたことは象徴的です。産業化や都市化という動向から距離を置き、社会性や党派性ではなくひとりの人間としての作家性こそが、現代の状況に対して批評的有効性を持ちうる、人間の普遍に近づける、とした篠原一男の主張は、高度成長が終焉し、政治の季節が過ぎ去った時代において、社会との関係性に倦んだ建築学科の学生や若い建築家を大いに刺激しました。
新しい世界は、ひとりの個人から生まれる。
時代が変わっても本書の持つアクチュアリティが失われていないのは、この徹底的に個と個の想像力に軸足を置いた篠原の言葉ゆえと言えるでしょう。
「(社会のなかの新しい文脈というものは)いついかなる場所でもひとりの人間のなかから生まれてくるものだと私は考えている。新しい文脈が住宅のなかにもつくられるとき、やがて起こるかもしれぬ建築の逆転劇の主役のひとりに住宅も割り当てられるはずである。小さな空間をつくる建築家はそのときがくることを期待して作業をつづけるのだ」
新しい世界は、企業や組織からではなく、ひとりの個人から生まれる。
篠原一男の単純で力強い言葉は、多くの建築家を鼓舞し、日本の住宅の個性のひとつと言われる建築家住宅が作られつづけて今日に至っています。
篠原一男(1925-2006)
東京工業大学で清家清に師事し、自身も同大学で長く教鞭をとりながら、住宅を中心に建築作品を発表。今回取り上げた『住宅論』とともに、その前衛的で抽象性の高い作品は、内外の建築家に大きな影響を与えた。「篠原スクール」と称された同研究室からは、坂本一成、長谷川逸子、安田幸一など数多くの建築家が輩出している。代表作に《白の家》、《から傘の家》など。
初出:houzz site