シンプルの系譜<8> ~料理におけるシンプルとは~
モダンデザインを一言でいうとシンプルなデザインということになるだろう。
広辞苑には「シンプル」とは「単純なさま」とある。シンプルとは、色・かたち・素材が簡素で抑制されているさまである。
シンプルはモダニズムの専売特許ではない。また、建築やプロダクトのデザインに限られるというわけではない。シンプルという価値観はどこから来たのか。その具体的な現れ方とは。シリーズ《シンプルの系譜》では、さまざまな切り口でシンプルの様相を探ってみる。
今回は料理におけるシンプルを考える。
米沢亜衣のカリフラワーと和知徹のチキンソテー
シンプルな料理でまず思い出されるのが米沢亜衣の《ゆでカリフラワー Cavolfiore lesso》という一皿(『イタリア料理の本』 アノニマ・スタジオ 2007)。
レシピはカリフラワーを丸ごと茹で、塩とオリーブオイルをかける。終わり。という料理だ。
レシピに添えられた文には「歯ごたえがほとんどなくなるくらいゆでると、カリフラワーがとろけるような食感になり、甘みも強く感じられる」とある。
マルディグラの和知徹シェフの《チキンソテー Cuisse de volaille sautée》もシンプル極まりない(『銀座マルディグラのストウブ・レシピ』 世界文化社 2015)。
材料は鶏もも肉とオリーブオイルと塩と黒胡椒だけ。
「筋切りも必要なし、皮目をひたすらじっくりと焼くだけで、ふっくら、パリパリのチキンソテーがつくれてます。あまりにあっけなくて驚かれるのでは?」とシェフの一言が載っている。
これらの料理はシンプルなだけではない。それぞれのコメントにあるように、素材の持つ個性が最大限引き出されていてなかなかに旨い。
こうしたシンプルな料理は、以前だったら恐らくは、わざわざ料理書には載らなかったであろう。カリフラワーは茹でてマヨネーズをつけて食べる料理以前の日常のお菜であり、フランス料理において鶏といえばクリーム煮、ワイン煮、トマト煮、キノコソース、栗詰めロースト、コンフィなどが一般的だ。
モダンエイジが行きついた料理におけるシンプリシティ
こうしたシンプルな料理への注目と支持の背景にあるのは、食べ手、作り手双方の飽食への疲弊、凝り過ぎた料理法への反動、そして全世界的な健康志向があるのは間違いない。
貴族やブルジョワジーや有閑階級を主人公にした、大食い、満腹、昼酒、昼寝などのグルマンディーズの快楽が仰ぎ見られた時代が過ぎ去り、自らの体力知力だけを頼りに、時間を切り売りしながら忙しく立ち回らなければならない職業人が主役となったモダンエイジにおいては、手間暇の節約と健康がなによりも重視されるようになった。
日本の場合は、憧れとよそゆきから始まった外国料理が約100年かかって、近代のピーク、ちょうどバブルの頃にすっかり定着し、その後の成熟、爛熟、飽食の末に行き着いたのが、凝ったレシピよりも普段使いのレシピ、簡単簡素で実質本位のおいしさ、コスパが高くかつヘルシーなど、料理におけるシンプリシティだ。
レストランよりもビストロの一皿、リストランテよりもマンマの手料理、スローとローカルへの共感というわけだ。
ブリア・サヴァランが新しい料理の発見は、人類にとって天体の発見以上のものだと書いているように、シンプルな料理は新しい味覚を目覚めさせてゆく。
シンプルな方がおいしい、シンプルな料理はヘルシーだ、調理に時間をかけるのは無駄だetc. その結果、シンプル志向はますます普及・深化してゆく。
料理においてシンプリシティが向かうのは素材と技
料理におけるシンプリシティが向かう先は素材と技だ。あまり手をかけずともおいしい新鮮な素材、そしてその素材の良さを最大限引き出すさまざまな技。
冒頭に挙げた二つの料理の勘所も火の入れ方だ。カリフラワーは、ほとんど歯ごたえがなくなるまでゆでられることにより甘さを獲得し、鶏は中火で蓋をして皮目を5分、弱火に落としてさらに5分、皮目からだけで計10分間ソテーするという厳格にコントロールされた火入れによって、ふっくらかつパリパリに仕上がる。
手づくりや無農薬や地場野菜や伝承野菜などが注目されることと同時に、低温調理、真空調理、液体窒素、分子料理など料理は科学の領域に踏み込んでゆく。
「料理」とは、料(はか)り 理(おさ)めるという意
料理とは、料(はか)り 理(おさ)めるという意の言葉からなり、ものごとをうまく考えて最も良い結果になるようにする、という意味だ。転じて食べものをつくる行為とつくられた食べものを意味するようになった。
もともとは中国語に由来するが、中国語では料理という言葉には、食べものをつくる、いわゆる日本語の料理という意味はないのだそうだ。
一方で英語のクッキングcooking、フランス語のキュイジンヌcuisineなどは、ラテン語のコクエレcoquereを語源とし、その意味は「火熱を加える」という意味だ(玉村豊男 『料理の四面体』 鎌倉書房 1980)。
フランス料理で前菜を意味するオードブルHors-d’ œuvreとは、”作品・仕事œuvre”の”外hors”、つまり料理外のもの、料理人の守備範囲外のものを意味することから来ているという(前掲書)。確かに伝統的オードブルである、サラミやハムや野菜の酢漬けや魚の油漬けなど、火の入っていないものを作る人を普通、シェフとは呼ばない。
西洋料理においては(そして中国料理においても)本来、料理とは食材を加熱することであり、料理において最も肝要なのは火入れの技ということになる。
グリエ、サテ(ソテー)、ロティ(ロースト)、ポワレ、アロゼ、ブロンディール、リソレ、キュイール、セジール、ルヴニール、フリールetc. フランス料理では焼くことを意味するさまざまな技と表現がある。
料理におけるシンプリシティの追求ということにおいても、その最大の眼目は、火の使い方のシンプル化であり、それは先に挙げた例をみてもわかる。
一方、日本料理では、刺身やすしや和え物など、加熱せずに生で食べることも立派な料理のひとつであり、切る、和える、盛りつけるなど、火とは無縁の技も重要な料理法として確立している。
日本料理において最重要なのは、料(はか)り 理(おさ)めるということであり、素材と組み合わせを吟味し、その良さや個性を最大限、活かすように工夫することがなにより肝要なのだ。
シンプル志向の行き着く先の日本料理
料理におけるシンプル志向において、火の入れ方のシンプル化の先にあるのは、当然、火を入れる前の世界に踏み込むことであることは容易に想像できる。料理におけるシンプル志向の行き着く先が、料(はか)り 理(おさ)めることを重要視する日本料理やその技への関心が高まるのは必然だといえる。
現在のミシュランガイドにおいて、星付きレストランの数が世界一多い都市が東京であるというのも、あながちフランスのタイヤメーカーの輸出戦略のためのリップサービスがその理由ばかりではないということがわかる。
*トップ画像:Flame in Campfire by Xavier Messina