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辺見庸『もの食う人びと』 ~食のエクリチュールvol.10~

食にまつわる書籍を紹介する“食のエクリチュール”シリーズ。
       
第10回は辺見庸の『もの食う人びと』(角川文庫)。


本書は著者がまだ共同通信社の在籍中の1994年に書かれたノンフィクションだ。
 
「私は通信社の外信部デスクの職務にあり、溢れるほどの記号的情報をもとに、怒りの色も悲しみの色も交えない賢し顔で、世界のありようを冷静に手短に分析してみせるのを常の業としていたのだ」
 
そうした日常に著者は、倦み疲れ、離人症に罹り、世界を鮮やかに実感できなくなっていた。
 
「世界はときに、透明なビニールの膜に透き間なく覆われているように思われた。また、あるときには、私自身が全身をサランラップかなにかにすっぽりと包まれ、世界から遮断されているように感じられた」
 
「ある日、私はこの隔壁やビニール膜をばりばりと突き破りたくなった。当為としてではなく衝迫としてそうなった。ビニールハウスふうの無菌、無風空間から世界を眺めているのがついに嫌になったのである」
 
冒頭の「旅立つ前に」と題された章にはこうある。
 
「私は、私の舌と胃袋のありようが気にくわなくなったのだ。長年の飽食に慣れ、わがまま放題で、忘れっぽく、気力に欠け、万事に無感動気味の、だらりぶら下がった、舌と胃袋。だから、こいつらを異境に運び、ぎちぎりといじめてみたくなったのだ」
 
そして、著者はダッカの駅前広場の屋台で売られている残飯(!)を手始めに、バングラデシュの難民キャンプのピター(蒸しパン)、バンコックの日本向けに作られている猫用缶詰、かつて特派員として滞在したハノイのフォー、ベルリンの刑務所の囚人食、ワルシャワの炭鉱のボグラッチ(田舎スープ)、ユーゴ紛争最中のアドリア海のいわし、コソボの修道院の精進料理、ソマリアのPKO各国軍の食堂の飯(イタリア軍のランチは、アサリのリゾットと紙パックの白ワイン付きだ!)と難民キャンプのインジェラ(発酵クレープ)とチャットと呼ばれる麻薬性のあるアルカロイド系植物の茎、エチオピアの塩コーヒー(コーヒーに塩は意外に良く合うらしい)とバター・コーヒー、ウガンダのマトケ(バナナの蒸しもの)、ウラジオストックのロシア海軍食堂の給食、チェルノブイリの放射能を浴びたキノコ入りスープ(サリャンカ)と豚のレバーの串焼き、そして地元では放射能を洗い流すと信じられているこれまた放射能を浴びたリンゴから作られる自家製の酒サマゴン・・・・などなど、飽食日本から遠く離れた、新興国の、問題の場所の、紛争地帯の、極限状態の、最果ての場所の食を舌と胃袋に流し込む。
 
 それは、フィリピン ミンダナオ島での残留日本兵士の人肉食の記憶や今を生きる韓国人従軍慰安婦のかつての記憶など、「見えざる食いもの」をも食らう、食って、食って、食いまくる旅だ。
 
 「食う」というありふれた日常に目を向け、共に「食う」ことによって見えてくる人の世界の現実の姿。
 
 一方、「食う」ことは「食える」という状況を無意識に前提とする一方で、「食えない」という事態をその陰画として暗喩する。
 
 忘れられないのは、ソマリアの「食えない」状況を記録した「モガディシオ炎熱日誌」と題された章のこの一文だ。
 
 「工科大学校に行ってみたらキスマユから来た避難民であふれかえっていた。玄関で大便をしている子いて、息も詰まる不潔さだ。
 悲しい話ばかりでメモは埋まる。三階の教室にうずくまっていた少女の姿がとりわけて胸に切なく尾を引いた。
 ファルヒア・アハメド・ユスフ。十四歳だが、三十以上に見えた。
 この日誌を私が記事にまとめるころ、ファルヒアはたぶんこの世にはいないかもしれない。
 栄養失調。結核。もう食べられない。立てない。声も涙も出ない。咳だけ。枯れ枝少女だ。
 凍てついた影のように微動だにしない。
 たまに、飼い猫のトイレみたいに土を入れた器に、音もなく排泄する。自分の排泄物と暮らしている。
 こめかみに針金ほどの指を当て、この世のありとあらゆる苦しみを、他人の分まで、一身に負うた目をして、十四年の命がポッと消えるのを待つ。
 ごめんよ。ごめんよ。突き動かされ、そう言うしかなかた。拝むしかなかった。
 国連の平和維持活動(PKO)も、アイディード派の政治も、対立するモハメド暫定大統領のそれも、ファルヒアを救わない、ファルヒアだけでない。たくさんの枯れ枝少女、少年が、ただコブラのやかましい飛行音と銃声を聞かされてるいるだけだ」
 
 「救わない」のはジャーナリズムとて同じことだ。旅を終えた著者の言葉は重く沈む。
 
 「私は無事帰ってきた。体裁をほぼ整えて。他人事のようにいえば、結構な話ではあった。しかし、本当に結構な話だったのか、私はこのところ夜半に自問することがある」
 
 「私はたくさんの悲劇を尻目に旅をつづけ、悲劇から悲劇へと渡り歩いた果てに、いま平然と生きてあるという自責にも似たなにかの感情が抜けないからだ。そうである限り、この旅はまだ終わっていない、いや少なくとも精神的にはまだまだとても終われないのである」
 
 しかしながら、と思う。
 
 「飢えの果てに、ただ間もなく死ぬためだけの私の眼前に存在していたファルヒア・アハメド・ユスフ。ここにいま、世界の密やかな中心があると私は考えたのだった。世界の中心であることを標す巨大モニュメント(そんなもにが必要とは思えないけれど)を建てるとしたら、ワシントンD.C.でもロンドンでも東京でもなく、ここであるべきだ、と。感傷ではない。声も涙もでず視力さえなくなった彼女の顔は、先進国サミットに集うあの旦那方の胡乱で澱んだ貌(かお)とは比べるのも愚か、神々しいほどの美しかったのだから」
 
 ファルヒアを「救わない」のはジャーナリズムとて同じことだが、辺見庸は、ソマリア モガディシオの枯れ枝少女の存在をこう書き記す(文字通りの意味でJournalだ)ことで、ともすると忘れられがちな世界の本質を啓示してくれる。
 
 それは、国家や権力や経済のパワーを持ってして世界の中心と思い、真実や正義を語っているつもりでいることは大きな誤りである、と。
 
 神は細部に宿る。中心は往々にして周縁に現れ、真実もまた深い混沌に中に姿を見せる。
 
 「食」とて同じことだ。 「食う」を問う時には、同時に「食えない」ことを問う想像力を忘れてはならない、と。
 
 飽食日本の日常にどっぷり漬かり、美食や三ツ星やグルメやB級やらで知らず知らずのうちに世界を想像する感性と勇気を失いかけた時、いつの間にか倨傲の眼差しになりかかった時、そんな時には、モガディシオの枯れ枝少女が写った一葉の写真のことを思い出そう。
 
 はたして想像力は世界から遮断されてはいないだろうか。
 
 
 

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