新聞と放送が一体のメディア基地 岐阜放送今小町本社 1988.11【あの頃名古屋圏】
今小町放送センターとは
それまで岐阜日日新聞(現:岐阜新聞)の社内にあった岐阜放送が、独自の「今小町放送センター」を完成させたのが、1980(S55)年10月1日のことでした。
岐阜放送は「ラジオ岐阜」として1962(S37)年12月24日に開局。そして1968(S43)年1月に社名を「岐阜放送」に改称し、8月12日に日本初のUHF民間放送テレビ局として放送を開始しています。そして開局6周年の日からカラー放送を開始、1971(S46)年には「テレビ全県エリア」を達成します。
昭和50年代になると、「ワイドぎふ8時のひろば」がスタート。そしてこの「今小町放送センター」が開設されたことによって、大スタジオでの番組制作が可能となり、「輝け!大賞カラオケのど自慢」がスタートするのです。
今小町放送センターが開設された当時のパンフレットを見ますと、テレビの人気番組は「金曜スペシャル」「凸凹大学校」「やすしきよしの運だめし・腕だめし」。期待の新番組は「日曜ビッグスペシャル」「東西オールスター漫才」などとあります。
また、ラジオは「電話リクエスト大行進」「ヤングスタジオ1431」「衝撃のニューミュージック」「リビング・ダイヤル」「徹ちゃんの張切り180分」「僕の時間・私の時間」が、「ドライバーや事務所で働く県民、ご家庭のみなさんから喜ばれています」と記されています。
今小町放送センターは、1階にラジオの「サンシャインスタジオ」「ラジオ調整室」「ラジオ第2スタジオ」「出演者控室」「役員室」「会議室」「楽屋」「テレビスタジオ」
2階が「放送実施部」「テレシネ室」「テレビ主調整室」「技術部」「テレビ副調整室」
3階が「編成部」「制作部」「報道部」「資料室」「会議室」「レコード室」「電話交換室」「第3・5・6スタジオ」「CM編成室」「県災害情報センター」という構成になっています。
鶯谷トンネルを抜けて、今小町交差点を左に曲がると、左側に岐阜新聞・岐阜放送の社屋が見えてきますね。
あとがき(2019.12)
岐阜放送は1992(H4)年にロゴマークを一新し、愛称を「岐阜テレビ」「岐阜ラジオ」に変更。社屋の赤い「GBS」というロゴもつけ替えられました。本社1階に「FM準備室」が設置されると、ラジオの愛称が「AM岐阜ラジオ」と変更されました。FM準備室はその後、岐阜新聞と中日新聞などの共同出資により岐阜エフエム放送が設立へと至っています。
岐阜放送は、地デジ化への対応と開局45周年を機に、2007(H19)年11月にJR岐阜駅前に完成した高層ビル「岐阜シティ・タワー43」の4階へと本社を移転。テナントではなく購入しての移転となりました。
また、愛称もそれまでの「岐阜放送」「岐阜テレビ」「AM岐阜ラジオ」から、「ぎふチャン」「ぎふチャンテレビ」「ぎふチャンラジオ」へと変更されイメージも一新しました。
今小町放送センターは解体され、跡地には岐阜新聞の印刷工場が建てられています。
そして、長年、岐阜放送の顔として番組にも登場してきた杉山幹夫会長兼社長が、退任したと12月10日付の岐阜新聞朝刊で報じられました。(岐阜新聞社最高顧問に)
※ここに掲載されている写真は、放送マニア少年(わたしのこと)のために、岐阜市へと仕事に行った父が、わざわざ写真を撮ってきてくれたものです。