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感情の動きとディズニーパーク
最近感情が全く動いてない
それもそのはず家で就活と外に出てアルバイトのルーティンしか送っていないからである。就活とアルバイトにて嘘の笑顔は見せるけど本心で笑ったのはいつが最後だろう…
こういう長期休みに入って、改めて感情が動いて活き活き生きれていた楽しい記憶とかを思い出して寂しくなるのである。
人のインスタはまぶしくて苦しくなる…
感受性豊かっていうのもあるが、「感情を動かす」こと自体が好きなのだと思う。友達との遊びも恋愛も、「その人といろいろな体験ができること」が楽しいのはもちろんであるが、「自分の感情がころころ変わるから」楽しいのではないかなんて思った。
結局自分のことを優先してしまうのは悪いところである。
俺の生きてきた中で、その最上級の感情が動く体験ができるのが「誰かと行くディズニーである」と勝手に考える。(異論は認める)
これはディズニーが好きだから余計感情が動くってのはあると思うが、興味がない人でも、感情を動かす仕組みってのが気が付かないだけでたくさん組み込まれているのではないかなんて感じる。
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実際に調べてみることにした。
一番上に出てきたのは、毎回事細かくディズニーシーのことをわかりやすく説明している「シー・オブ・イマジネーションジャーニー」の月兎 大先生。
(毎回 時系列 諸々を図作って説明してるの尊敬すぎる。noteの熱量がとんでもない人なので全員見るべし)
note内容が変態的に詳しすぎてついていけないところがあるのはいったん置いとくとして、どうやらこういうことらしい。
どちらもエンタメビジネスなので人の感情を動かさなければならないのは確かですが、
シーの場合は単純にそれを追い求めるのではなく、考えないとわからない部分を作ることで"知的好奇心"が満たされるという、さらに先の楽しみが隠されているといった具合でしょうか。
その"知的好奇心"を満たすために必要なのは"ロジックで固められたストーリー・設定"ですから、シーは論理のテーマパークだと言い放ったひろひろ先生はやはり偉大です。
なるほど。確かにシーの方が細かく設定が決まっているような印象がある。
というか設定が細かいから大先生の文章が毎回素晴らしくなるわけだし。
そして大先生とは別に、ネットでさらに調べるともう一個面白いコラムを見つけた。テンミニッツTVというサイトの『人はなぜ「ディズニーランド」に行きたくなるのか?』というタイトルの文章から抜粋させていただく。
なぜ自分がディズニーランドに行きたいのか考えたこともなかった、と改めて魅力を語ろうとすると、皆さんの口から出てくるのが擬音語。
これは言葉で説明しにくいエモーショナルな体験が、ファンを引きつけている証ともいえます。普段あまり感情をあらわにできない大人も、「ディズニーランドでは感情に素直になれる」というポイントが大きいようです。
これも確かに共感できる。
「わくわく」「ドキドキ」「キラキラ」「はらはら」
日常生活であまり聞かないし、使うことのないこれら擬音語であるが、あえて用いて説明することで"夢の国"が伝わりやすく感じる。
ライブのような非日常空間でも同じ擬音を使いそうだなと思った。そのことを考量すると・・・
非日常という空間は、素が出しにくい日常生活とかけ離れているからこそ、感情を素直になれる
という結論となる (理系っぽいまとめ方 ※一応理系)
じゃあディズニーじゃなくて非日常空間であれば「最上級の感情が動く体験」できるやん、となりましたよね
正解w まぁ異論は認めてるしw
でもディズニーパークは規模が大きく、他で代用できるのクオリティではないからこそ感情の変化が大きいのではないのかな…?
あんなディズニーシーのプロメテウス火山とか、メディテレーニアンハーバーの様子とか再現できないし、VRとかの映像で満足できるものでもないし
ってなわけでやっぱり東京ディズニーパークが優勝です (何の話だっけ?)
うん書いてたら余計ディズニー行きたくなっちゃった