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人と比較される苦悩

この前Twitterにて「こっちのけんとが思っていた苦悩」を文章起こしたものが話題になっていた。

内容を本当に軽く要約すると「こっちのけんとは菅田将暉の弟であり最初は喜ばしかったが次第に兄の存在を苦しむようになった。小さい頃から俳優をやり人気者の菅田将暉と違い、歌だけは勝てたので続けていたが気がつけば菅田将暉は歌でも人気物になり全てを取られた。にくかった。そんな菅田将暉の弟という『あっちのけんと』を捨て自分だけの『こっちのけんと』という名前でひたすら活動を続けた結果今がある。今では兄のことを尊敬している」と。※要約しすぎなので詳しくはこのツイートを見てね


ほんとに努力家は違うなと感動を受けた。

有名人の兄弟は周りからは羨ましがられるが、本人にとってはそれが鬱陶しいし比較材料にもなってしまう。

これは有名人に限らず周りの友達だったりただの兄弟であっても勉強スポーツ、友達関係、要領の良さなど本当に様々な面で勝手に比較され、呆れられ、見捨てられる。


別にその得意分野1つで勝負することはないし、人それぞれ必ず得意なことはあるはずである。それを比較したり競ったりするから「自分は何もできない、得意なことがない存在だ」と苦しみ、もがき、自己肯定感が低くなるのである。

若者の自殺率が異常に高いのもこの比較される社会や環境のせいだと心の底から思う。

以前『音楽の力は偉大』という文章でも書いたのだが、塾という存在が嫌いだった。

https://note.com/toppo_hitorigoto/n/na74d8a4352f2


が通っていた集団塾はとにかく比較し、競わせることで上位の存在を作り出し少しでも知名度を上げようという考えの塾であった。


マーケティングの授業だったり本を読んでいるからこそ、その行動は理論値とも言えるほど成長速度が速い。一方でその行動は裏の見えないところで見捨てられる生徒も現れる。心のなかでこうはなりたくないと上位の存在が思うからこそ、どんどん成長して向上心があがっていくのである。

そうやってどん底に落ちた人間は思うのである。「死にたい」と。

何度「自分は成長できない愚か者なのか」と思ったことか。何度「苦しい、助けて」と思ったことか。そして何度死のうと思ったことか…

この話に比にならないくらい苦しみ共感されずに生きてきた「こっちのけんと」はどれだけめげずに努力してきたかが目に見える。

想像できるレベルでは収まらないくらいに苦しみ、その中でも必死に成果を出して認められようと努力を重ねたのだと思うと自分もまだまだ頑張らなきゃいけないなと思った。

歌詞のサビには「・・・ーーー・・・」がある。これはSOSのモールス信号。兄に全て取られ、比べられた「こっちのけんと」がずっと出し続けたSOSだからこそこうして今、皆に届いてバズったのだと思う。

話題となったTwitterのコメント?欄ではこんな文章があった。「私は菅田将暉の弟だと知らずにいい曲だなと思い、曲を聴いていた」と。まさにこのコメントこそが「こっちのけんと」が求めていたものなのだろうなと。

あと死ぬな解説の動画で「菅田将暉の弟だって知って驚いてる。兄弟揃って多才すぎる」っていうコメントに対して「嬉しいですねこのコメントを待って何年も頑張ってきたって感じですね。1つ夢がかなった感じ」って返していた。

ここからは完全に勝手な憶測になるので、あくまで同じ状況に自分がいたら、の体で書くのだが、
「菅田将暉の弟だって知って驚いてる」に関しては本当に喜ばしいことであり望んできた未来であると思うが、後半の「兄弟揃って多才すぎる」に関しては、多分私の性格が悪いからなんだろうが「は?(怒り)」に思ってしまうかもしれない。多才ってひとくくりにまとめると、どうももとから才能があったのように感じてしまい、苦しみながら努力してきた過去を否定されているのではないかと感じてしまうからだ。

まぁ多分本人もそこまでは思わないのかもしれないがどうもそこだけ勝手に気になってしまった。


菅田将暉に歌まで取られたとき、私が同じ状況にいたら才能がなかったとポッキリ折れて諦めていたと思う。めげても辞めずに努力し続けることは、結果自分の才能を開花させるのだと感じた。

ファーストテイクがでて、本当に笑顔で楽しそうに歌っているのを見て全く関係ないのに泣きそうになったしこれからも応援し続けたいなと思った。

知っている方もそうでない方も本当にいい曲なのでぜひ。




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