フリーランスの自由さに疲れた私の心に響いた言葉
最近見たドラマの中に、こんなセリフがありました。
ストーリーはちょっと複雑なので割愛しますが、
「君の人生の目的はどっちなんだ?それがわからないと、永遠に自由になれないぞ。」という問いかけへの返答でした。
全く自分と関係のないドラマのセリフなのに、なぜか反射的にドキっとしてしまったんです・・・。
きっと、「自由を求める=自由な働き方・フリーランス」っていう自分の状態と重ねてしまったからだと思います。
「自分にとらわれたまま」と聞いてまず思ったのは、「願望」「エゴ」「執着」などです。
つまり、
ということなのかな、と勝手に解釈しました。
逆説的というか、矛盾しているというか・・・
なんだか抜け道がないトンネルのような感じ。
じゃあ、「自分にとらわれない生き方」ってどんなものなんだろう?
ブロガーでありながら、実は国語や哲学が苦手なので、ちょっとだけAIにも解釈してもらいました。
私の相棒クロちゃん(Claude)はこのように答えてくれました。
つまり、「自分にとらわれないようにしよう」と意識的に努力すること自体が、新たな「とらわれ」を生んでしまう。(ややこしい…)
だから、このパラドックスを踏まえた生き方とは、
「とらわれている自分」をそのまま受け入れること
自然なあり方を無理に変えようとしないこと
だそうです。
なんだか数日前に書いた記事につながってきました。
「自由」を求めるのは、人間の自然な欲求の1つ。
「自由」を持ち続けたい、と思うのも同じ。
一方で、「自由」を叶えた先には、「自己決定のプレッシャー・責任・不安定さ」などが生まれる。
実際、昨晩、ふと魔がさして、
「もう、普通に会社に勤めたい」
「自分で色々考えるのしんどい」
「誰か私に指示してくれ…」
みたいな気持ちになっちゃったんです。
夫に素直にいうと、「普通に働いてもいいんじゃない?」って言ってくれたんですが、新しい働き先を探すっていうハードルが高すぎて無理だなって思いました。(そこまで行動力を起こすパッションがない、ヘタレ)
結局は本当にフリーランスが嫌になったわけではなく、ちょっとボヤきたかったというか、誰かに聞いて欲しかったんだと思います。
不安や迷いがあるのは、自然なことなのに。
完全オリジナルの道だから、孤独を感じるのも当たり前だし。
もしかしたらそういうものに気づかないくらいに、悩む暇もないくらいに、がむしゃらに仕事ができる人じゃないと、フリーランスって向いていないのかなぁ。
「ネガティブになる人はね、暇なんです」っていうホリエモンの冷たい声が聞こえてくる…。笑
そうは言っても、これが自分の選んだ道。
がむしゃらに情熱を持てない仕事をやっているのも、自己責任だし。笑
頭の中で誰かが「失敗じゃない?」「辞めなきゃよかったんじゃない?」って囁いてくるけど…
私が今抱えているいろんな感情や現実は、組織に属さない自由を選んだ証なんだよね。
これも、サレンダー(降参)的な思考で、受け入れていく練習が必要なのかも。
なんかね、自分ではわかっているんです。
きっと、こういうのも、私の人生に与えられた課題の1つなんだろうなって。(急にスピリチュアルでごめんなさい)
だから、今の生活でも楽しめることを見つけたり、自分なりに工夫したり、色んな感情を味わって受け入れたりすることができたら、いつかきっと新たな扉が開くんだろうなって思っている。
それはフリーランスの中での違う扉かもしれないし、
全く違う何かかもしれないし。
「なんか満たされない」
「こうじゃなかった」
っていう気持ちは定期的にやってくる。
それも開き直って今の仕事を続けつつ、
「じゃあさ、どうなったら私は最高なんだろう?」っていう自問自答をしっかりやっていきたい。
(おまけ)
そういえば、19歳くらいの時。
公務員試験で、県庁を受験した時の小論文の題名が「自由」でした。
あの時も、確か「自由とは、皆が求めるものであるが、責任が伴う」みたいなことをカッコつけて書いた記憶があります。
そんなありきたりな文章で県庁合格できたのですが、
地元に貢献したい気持ちが強くて市役所を選んだ私でした。
結局辞めてしまったけど、辞めたからと言って、市役所を選んだ自分の選択は間違ってなかったと思っています☺️
(なんだかんだ言って楽しかったことも多かったので)
今度は、公務員生活で楽しかった思い出も書いてみようかな。
おしまい。