市役所で楽しかったこと・嬉しかったこと①
約13年ほど地元の市役所で、事務職として働いていました。
辞めて3年経ち、どんどん記憶が薄れているような気がする今日この頃。
人間、嫌なことは覚えているものですが、ポジティブな思い出も大切にしたい!
今日はそれらを忘れないうちに書き留めようと思い立ち、noteを開きました。
記憶を引っ張り出しながら、ゆるりと振り返っていこうと思います。
今後市役所で働きたいと考えている人にも、参考になれば嬉しいです!
書き始めると長くなりそうなので、何回かに分けて書いていきます☺️
修行の秘書課と嬉しかった思い出
私の社会人生活は早く、20歳くらいで入庁しました。
2つ目の部署で配属されたのが、なんと「秘書課」。
当時23〜24歳だったと思います。
いわゆる「花形」っぽく見られやすいですが・・・
前任者は10歳くらい上のお姉さんで、それがまずはプレッシャーでした。
「大してマナーも知らない新人が秘書って大丈夫?」
「そもそも実家暮らしで甘やかされて育った末っ子に、偉い人のお世話なんてムリ!」
とめちゃくちゃ不安だったんです。
(一応、学生時代に単位のために秘書検定はとっていたけど、正直、何も覚えてない💦)
そして、前任のお姉さんと初めて話した時の内容がショッキングで、今でも思い出されます。
私:あの・・・いつ頃、慣れますか・・・?
先輩:ん〜・・・。今でも慣れないよ😅
私:(ひい・・・😭)
そんな感じで、悲壮感を漂わせながら秘書課に配属されたわけですが、当時の上司がこんなふうに励ましてくれたのを覚えています。
母親からは、「あんたに務まるか心配だわ〜でも、花嫁修行だと思って頑張んなさい!」と言われ・・・
「これは特別な体験なのだ!」
「これは2年間の修行なんだ!」
と、なんとかポジティブ(?)に捉えるしかありませんでした😅
* * *
秘書課という仕事
前置きが長くなりましたが、そんな私のポジションは、副市長のお世話係。
「スケジュール調整」「随行」などの対外的な仕事はもっと上の方が担当していて、私が当時やっていたのは・・・
雑務・雑務・雑務・・・!!!
もう細か過ぎて思い出せないくらいですが、当時の「モーニングルーティーン」を思い出してみました。
副市長は8時20分ごろには登庁されるので、8時前には出勤。
ホテルのコンシェルジュ(?)のように、
①副市長室のテーブルに大量の朝刊をセット
(※並べる順番が決まっている)
②洗面台に新しいタオルをかける
③決裁文書や机の上の整理
④登庁されたらご挨拶と共に「ほうじ茶」を提供
といった感じです。
当時の副市長は、昼食とともにパックの豆乳を飲む方だったのですが、「常温にしておいて」との指示があり、「朝のうちに冷蔵庫から豆乳を出す」という謎のルーティーンもありました。
お昼はお昼で、おしぼりを本当にタオルから絞って、レンジで温めてから提供したり、食後を見計らってお弁当を下げに行ったり。
私は飲食店でバイトすらしてこなかったやつなので、本当に慣れないことを頑張っていたと思います・・・😭
しかも当時は、副市長が2名いらっしゃったんです。
もう1人の方は、朝はコーヒー派でした。
そんな感じのルーティーンをやりつつ、来客対応、電話対応、決裁を受けたい人たちの交通整理。
市長・副市長の空きをひたすら待っている、上層部たちの雑談相手(?)などなどをやっていました。
ここで上の人たちに顔を覚えてもらえたことで、その後も廊下などで声をかけてもらえることが増えたのは、よかったと思えることの1つ。
あとは、私が秘書課にいることで部屋に入りやすくなり、同期たちが「決裁をもらいやすくなった」「助かった」と言ってくれたのも嬉しかったです!
たまに副市長が部屋から出てきて、「これのコピー取ってください」とか「◯◯さんを呼んでください」とかいう細かい指示もありました。
行事でもらった花束を生けたり(適当)、椅子にかかってる変なレースのカバーを洗ったり、消防服などをクリーニングを出したりと、家事みたいなことも色々・・・。
土日も急用やお悔やみ対応があれば、連絡を受けて出勤することもありました。
1回だけ、コーヒー派の副市長の随行(美化活動)をしたのは良い思い出です。
* * *
癒しの時間はおやつ
そんなバタバタとした秘書課の毎日。
唯一の癒しが「ふんだんにあるお菓子」たちでした。
(これは秘書課あるある)
市長や副市長が行事でもらってきたお饅頭。
来客が手土産で持ってきた、和菓子や洋菓子。
おかげで市内のお菓子屋さんには詳しくなりましたが、当時、体重は着実に増えていきました・・・。
それでも、なんとか甘い物のおかげで日々のストレスを緩和させていたと思います。笑
* * *
秘書課で身についたこと
まず、「大量の客にお茶を入れる術」というのが身につきました。笑
市長の来客は、団体で10人以上でズラーっとくることも少なくありません。
ばばばーっと大量の湯呑み茶碗を並べて、ザザザーと緑茶を均等に入れるのが得意になりました。(濃さが均等になるように、少しずつ継ぎ足していく)
コーヒーも同様で、カップにコーヒーを入れ、ミルク・砂糖・スプーンをセットするのがめちゃくちゃ早くなりました。
「こんなの、プライベートじゃなんも役にたたん!」と思っていましたが、姉の結婚式の時に、待合室にいた友人や親戚たちにコーヒーを出す機会があり・・・
普段やっているおかげで、サササッとやり遂げたので、親に褒められました。(修行のかいがあった!)
他には、ご祝儀や香典の出し方、フクサの包み方、電報の出し方、内のし・外のしのマナーなど、意外と役立つこともあったと思います。
あとは、在庫管理。
コーヒーやお茶類以外にも、市長や副市長の名刺(何種類もある)や消耗品の発注など。
「実家暮らし」の私には今まで無縁だったようなことを仕事で経験させてもらえたと思います。
2年のつもりが3年間もいましたが、思い出せば色々と身になっていたかな?
* * *
市長の運転手はプロフェッショナル
これは余談ですが、市長の車(いわゆる黒塗り)の運転手さんがすごかったです!
どんなにスケジュールがおしていても、公務の予定ぴったりに合わせることはもちろん、「市長に快適に過ごしてもらうこと」も常に意識されていました。
特に私が驚いたのは、
「運転中、マンホールの上を通らないようにしている」
と聞いた時です。
なぜだか分かりますか?
車が揺れないように・・・なんです😭
市長は車の中で資料を読んだりすることもあるし、なんなら忙しい中の「束の間の休息時間」なわけです。
私も普段車を運転しますが、マンホール避けながら運転するってめちゃくちゃ難しいです。
「運転するだけ」をやることもできるけど、そうやって自分の中にプロ魂を持ってやっている人もいるんだなと、思わず頭の中に「スガシカオ」が流れました😭すごい。
* * *
副市長からの手紙
だいぶん長くなってきたので、これで最後にします。
秘書課時代は色々なエピソードがあるのですが、私が一番嬉しかったこと。
それは、コーヒー派の副市長が退任されるときにくれた手紙(ハガキ)です。
退任挨拶のハガキの最後に、手書きでメッセージが添えられていたんです。
「朝のコーヒーが楽しみでした」
「いつも笑顔をありがとうございました」
ある日、この副市長に「濃いコーヒー、1杯くれる?」と言われたことがありました。
「濃いコーヒーってどうやって作るんだ?💦」と分からず、とりあえず濃そうに作ってみたのですが、絶対に濃くなかったと今は思います。笑
それに、毎回緊張して部屋に入っていたし、笑顔で対応できていた気がしません・・・。
そんな焦る体験しか思い出せないけど、「副市長は朝のコーヒーを楽しみにしてくれていたんだ・・・」と思うと胸熱でした😭
このハガキは、今でも大事に取ってあります。
その副市長がなぜ退任されたのか・・・
政治的なことは何も分からない下っ端だったし、失礼なこともしていたかもしれません。
今も元気にお過ごしだと聞いているので、またいつかどこかでお会いできたらいいなと思います。
まとめ
色々と大変だったけど、貴重で楽しかった思い出も多かった秘書課時代。
仕事内容もですが、「市政が動く最前線」という感じで常にバタバタしているのはなかなか刺激的でした😅
(意味もわからずほぼ傍観者でしたが)
また、同じ課の上の人たちは、仕事ができる人たちばかりだったので、そういう人たちの仕事ぶりを見て学ぶ機会も多かったと思います。
そんな感じで、今回は市役所の秘書課時代を振り返ってみました。
思い出し始めると、どんどん記憶が蘇ってきて、面白かったです☺️
私、頑張ってたなぁ・・・!
おしまい。