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3.1989年 10万キロ世界速度記録とSTI

「実証」とか「お墨付き」みたいなこと大事です。特に消費者に知られていないブランドや弱小ブランドは。

89年にレガシィを発売したころのSUBARUは、まさにそれでした。もちろん昭和33年に出したスバル360の歴史的ヒット、古くは日本の航空機産業を担った中島飛行機の末裔であることなど、社内的にはエンジニアプライドの高い会社でしたが、89年のスバルは世の中の3人に1人しか知らない(助成想起率でも)ブランド。知っている方も軽自動車メーカーとしての認知。そんなものでした。

もちろんレオーネという普通乗用車も売っていて、一部の雪国の方にはよく知られていましたが。。そんなスバルが社内的には「世界に通用する(してほしい)クルマ」を作ったのです。確かにクルマは格段に良くなりました。

でも、世の中は我々のことを。。。というエンジニアたちの忸怩たる思いがこの「世界速度記録」への挑戦に駆り立てたのだと思います。もちろん私は知りませんがきっと会議室ではこんな会話があったのではないかと思います。

「こんないい車ができたのだから、世の中にアピールする方法を考えろ」
「テレビコマーシャルで伝えるのは限界があります」
「そもそも我々の高い品質や性能を知る人は残念ながらほとんどいません」
「高い性能や品質を伝えるにはどうしたらいいんだ」

「FIAに世界速度記録というカテゴリーがあります。10万キロを連続走行しその速度を競う記録です。いまは欧州のB社が記録を持っていますが、それに挑戦するのはどうでしょう」
「10万キロって。。」「時速200kmだと500時間つまり21日かかります」
「なんだって!?」

結論を言うと「223㎞で19日間」で見事記録を達成しました。思えば過酷なサファリラリーを闘ってきたような人々からするとサーキットと言う比較的安定した道での10万キロには勝算があったのかもしれません。

この記録にはいくつかのポイントがあります。

1つ目 私はセールスマンでしたが、自社製品に対する自信みたいなものいまひとつ残念ながらなかった現場に対してすごい勇気を与えてくれました。お客様も10万キロ速度記録なんてなんだかよくわからなかったと思いますが、お客様以上に販売店をはじめとするインナーに対するモチベーションが大きかったと思います。あのB社の記録を破った!19日間223㎞で走りっぱなしだぜ!という。こんどのクルマはすごいんです。っていくら言ってもわかってくれないとしたら実証するしかないのです。そしてこの実証はある意味SUBARUのお家芸みたいになり。クルマが新しくなるたびにみんなが挑戦したくなってしまったのです(笑)

2つ目はこの記録を達成したドライバー21人全員が社内のドライバーだったことです。いまでもSUBARUには設計者でも自分で車の評価ができることが重んじられていますが、エンジニアが自らその記録に挑戦し達成したことの意義は大きかったと思います。

最後はSTIです。SUBARU TECNICA INTERNATIONALは1988年に創業し、WRCなどのレース活動を担う会社ですが。最初の仕事はこの「10万キロ」でした。もちろんSUBARUと一緒の活動ですが、レースだけではなく「挑戦」というジャンルを担う会社としてのSTIが生まれたことが後世に大きな影響を与えることとなります。

マーケティング的には「実証」や「お墨付き」はお客様以上にインナーや現場のモチベーションにつながります。そして現場の「気持ち」はきっとお客様に伝わると思うのです。


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