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1.1984年ころのSUBARUブランド

1984年は、まだ昭和の59年。SUBARUはダサい会社でした。当時国産ではHONDAがカッコよく、ワンダーシビック(3代目 84年)やなによりもデートカーと言われたプレリュードが輝く時代でした。

ポパイが創刊されたのが1976年です。その頃の高校生(私も)が大学に入り免許を取り始めたころはだいたい80年前後ですが、クルマは何よりも「デートカー」であり、1982年に登場したリトラクタブルライトをまとった赤いプレリュードは羨望の的でした。(わたしは裕福ではなかったのですが、幸い彼女がそれに乗っていました(笑))

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他にもゴルフやAUDIといった欧州車や、今はなきいすずのGEMINIが自由が丘のカフェの駐車場に並んでいる時代でした。またセリカXX(スープラ)やソアラといったスペシャルな車も光っていた時代です。男の子はみなクルマに夢中だったはずです。

そのころ SUBARUはレオーネという(良く言えば)質実剛健な車を作っていました。80年代は空前のスキーブームでお金のない大学生ですら毎年板を買い替えるという今では考えられないお金の使い方をしていました。

そんななか流行ったのがスキー場のペンション(ホテルだとバイトになってしまうので)で「居候」になることでした。居候に賃金は基本ありませんがペンションのお手伝いをします。一か月くらい。三食と寝床はペンションが提供してくれます。日中はスキー三昧できます。そしてリフト券は宿泊客が余ったものをくれたりするので、お小遣い以外お金はかかりません。忙しい時は、少なかったけど「お小遣い」をペンションからもらったりもしていました。私は20歳とかだったので東京のOLさんに夜飲みに連れていってもらったりもしましたw おごりでw

私が居候をしていたのは信州の「斑尾高原」のペンションですが、当時スキー場はランドクルーザーかレオーネのバン、この2択でした。大げさではなく。雪国で一番信頼がおけるクルマはこの2車種だったのです。シェアはあわせて80%くらいではなかったかと。

東京から車で来る大学生たちは、FRのシルビアとかスカイラインとかで豪雪のなか苦労していましたが、それを横目にレオーネはグイグイ行きます。その印象が強すぎて、すごい車だ。と思ったことを忘れません。

さて、RVブームと言うものが始まったのは90年くらいだったと思いますが、レオーネ4WDはある意味先駆けだったのです(結果的に)しかし、84年当時一部のマガジンハウス系の雑誌では「クロカン4WD(パジェロ)が熱い!」等、当時のセダン、スペシャル系へのアンチテーゼがささやかれ始めていました。時代はその後バブルに突入しクルマもRVではなく豪華な方に流れていくのですが、90年バブル崩壊後「自然回帰」「原点回帰」「家庭回帰」などというコンセプトのもと、アウトドア系の重要が急に頭角を現したことがSUBARU躍進のきっかけになるなど誰も思っていませんでした。

それが後年(89年)以降「レガシィツーリングワゴン」の爆発的ヒットにつながるのですが、84年当時 わたしは薄々それを予測していました。というのは後付けですが(笑)しかし、トヨタの採用試験は落ちるだろうし、どうせ自動車メーカーなら本社が東京で個性のあるブランドが良いな。と思い。SUBARUを受け、スンナリと入社にこぎつけるのでありました。(ホンダは入社試験に寝坊しました)

その時、リクルーターであった先輩(のちにSUBARU社長となる)からは「君みたいな遊んでる自由な感じのやつがうち少ないんだよね~」確かに当時のスバルは七三に髪を分けた銀縁メガネの銀行員みたいな人が多かったのです。

いま思えば(わたしはさておき)90年代以降の歴史を作ってきた方は皆なんとなく同じで「個性的な会社だから好き」「このダサい会社を変えたい」という人が多かったのです。わたしも「宣伝課長になる」ことが目標で幸い2007年にそれを達成?することができました。奇遇です。

そもそもレオーネツーリングワゴンも社内の一部の遊び人(スキーだったり、釣りだったり、カメラだったり)いや趣味人が自分たちの欲しい車を作っていた感じもあり。マーケティングではなく完全なプロダクトアウトに時代がたまたまついてきたのだったと思います。いや、逆にこれが現場のマーケティングだったのかもしれません。徹底的にスキーヤーに便利な車。とかいう意味ではw

(スバルの歴史にはそういう局面(結果OK)が多く、アメリカでヒットしたアウトバックもレガシィワゴンだと売れないので悪路走破性を上げるために嵩上げしてアウトドア向けに改良したら「これは新しい!」という結果になったり。。(笑))

入社が決まったことを彼女に伝えると「なんでそんなダサい会社に」と言われましたが、良い女だったので「あなたが変えなきゃだめよ」と言われたことを忘れ得ません(笑)そもそも友人の間でも「富士重工業株式会社」なんて知らない人が多かったのです。レガシィが世に出る5年も前ですし。金融や商社に行く友人の横で「重工業」でした・・・><

そして、もうひとつ入社を決断する時に背中を押したのが、当時小関さんとか高岡さんがグループN(市販車)で参戦していたサファリラリーです。1984年といえばセナやベルガーがデビューし、ニキ・ラウダやアラン・プロストとか若者の興味はF1だったのですが、個人的にはダサいセダンの4WDしかも、たいした馬力もない車で頑張るSUBARUになんだか共感を抱いていたのです。

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前置きや余談が多くなりましたが、まとめると

1.ライフステージ商品とライフスタイル商品があり、大手がエントリーモデルからファミリー用など多様なライスステージに対応した商品を提供するのにたいして、SUBARUは4WDを核として、荷物を積んで雪山に行ったり、いまこそメジャーなキャンプやアウトドアといった「ライフスタイル」に徹底的に対応した商品で差別化を行ってきた。

2.もう一方で、世の中を走っているクルマと同じクルマが過酷なラリーとかに参加し、頑張っている。特にその4WDの走破性と耐久性が他社とは一線を画した特徴であり、そういう姿勢(パーパス?)が一部のファンから絶大な支援をされる。

これは40年近く前の話ですが、機能をベースとしたライフスタイル商品(人生を豊かにする)であることや、フォーミュラではなく自分のと同じクルマがモータースポーツで頑張ってる構図は、どちらも今でも、今までもなんとなくSUBARU ブランドのベースにある気がします。


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