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8.1993年 アルペンスキーワールドカップ雫石

タイトルは1993年ですが、SUBARUとSKI 特にSAJ(全日本スキー連盟)との関係は1976年に遡ります。私がスキー場で居候をしていたのが80年くらいなので、まさにその少し前。その関係開始は必然でした。

スキーの選手は世界を転戦します。特にアルペンの選手は欧州各国を転戦します。大陸内なのでクルマで移動するのですが、当然ながら豪雪地帯を行きます。そんな選手の信頼できる足を提供してくれないかとSAJからオファーがありそれ以来現地で10台程度のSUBARU車が選手の足として活躍しています。日本でもオフィシャルカーを提供していますが、始まりは「欧州転戦」だったのです。いまから45年以上前。長い歴史です。そしてこの45年間それが継続していることが驚きです。(歴代スバル社員はスキーヤ—が多いのもその訳かもしれません)

スキーについてはたくさんのネタがあるのですが、私が宣伝課に配属されイベントの担当もしていたため、初の雪国系ビッグイベントがアルペンスキーワールドカップ雫石でした。1993年のことです。(ずっと1992年と思っていましたが92年度で1993年2月でした)

国際大会なので現地はたいへんな賑わいでSUBARUもブースを設けて車両の展示などをしていました。そんなわけでリモートもない時代に私はここに2週間滞在した記憶があります。

当時60台のレガシィツーリングワゴンをオフィシャルサポートカーとして提供しましたが、スキー場を占拠するレガシィレガシィレガシィ・・・壮観でした。
大会終了後もIBC(岩手放送)さんの協力でその車両を販売しましたが、圧倒的な人気で即完売した覚えがあります。

必然。と書きましたが、単なる話題喚起や認知向上プロモーションとしてのスポーツタイアップでなく、スキーヤーにとって移動の足が必要で、スキーや道具を積ん長い雪道を共にする相棒としてSUBARUが必然だったのです。
必然マーケティングです。お客様も「納得する」ので共感に繋がります。お陰様でそういう「良い関係」によってスキーヤーの方々がSUBARUを応援してくれることに繋がりました。

その後 自転車の世界でもSUBARUを選んでいただけるTEAMが増え SUBARUも日本の3大自転車イベントと呼ばれる「ツールド北海道」「ツアーオブジャパン」「ジャパンカップ」に協賛する運びとなります。これも必然であり、屋根に自転車やホイルを積んでクネクネの山道を80㎞で追従するクルマにはやはり低重心で荷物を詰めて安心して飛ばせるSUBARUを選択していただけています。

実はSKIから自転車へと拡大していった最大の要因は、残念ながら2000年代に入り少しづつスキーの人気が圧倒的な時代から比較して下がり、スキー人口もピークの3分の1くらいになっていきます。当然スキー産業もすこし厳しくなっていく中で、スキー業界から自転車業界に転身する方が多かったのです。そしてそういう方々が自転車でもSUBARUを選んでいただくことに繋がっていきました。 SALOMONさんや日直さんやSHIMANOさんやMAVICさんや。。。。ゲレンデタクシーを提案してくれた元オリンピック選手も。 そういうありがたいスキー人脈が新たなスポーツフィールドでSUBARUを応援してくれました。

そういえば SALOMON SKI NOW(TX) という歴史に残る良い番組がありました。90年代にスキーをしていた人なら知らない人はいないはずです。
提供はSALOMON一社だったのですが、SUBARUも車両提供し、一緒に番組を作っていきました。しかし、時代のながれでSALOMON一社提供が厳しくなり、SUBARUも提供の一部を担うことができましたが、最終的に残念ながら番組は無くなってしまいました。

タイアップとかコラボレーションとか、パートナーシップマーケティングとかいろいろ言い方はありますが、お互いの「必然」お客様の「共感」に基づくそれは、楽しいマーケティングです(というか応援することが第一目的であり、成果を期待することでもないのですが)

「必然」のない協賛は、お客様から見ても「共感」し得ない。最近も事件がありましたが。。


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