見出し画像

良い人を辞めたい

今年の梅雨は長くて陰鬱な気持ちになる。体は元気でありたがっているのだけれど、気持ちが付いていかない、そんな感じ。

暗いことを書きたいわけではないのだけれど、天気がこんなにも長い間良くないと普段考えないことを悶々と考えてしまう。

というわけで、最近漠然と「人との付き合い方」について考えることが多かったので、徒然なるままに書いていこうと思います。

まず「コミュニケーション能力」について。

新卒の就職活動でも転職でも人事採用において最も求められるスキルである「コミュニケーション能力」。じゃあこれってどんな能力なのよって話。

ネットで検索してみたらマイナビ転職の関連ページにこんな事が書いてあった。

「実は、コミュニケーション能力の定義はあいまいです。端的に言えば、『その時々の状況に臨機応変に対応し、さまざまな人と信頼関係を築ける力』でしょうか。その場をうまく取り繕うことや、話し上手であればいいというわけではありません」
(シゴトサプリ https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/suppli/topics/032?_adp_c=wa&_adp_e=c&_adp_u=p&_adp_p_md=3287&_adp_p_cp=83787&_adp_p_agr=8554213&_adp_p_ad=10226282&gclid=Cj0KCQjwyLDpBRCxARIsAEENsrJk2VL-FsO3lApcCJh1dQHPYy8xsw52nIoUJVXrWjxluPVohGZKp1caAgPKEALw_wcB)

とのこと。この引用文における私的ポイントは「さまざまな人と」という点だと思う。

例えば新しい環境に身を置いたとき、大きく分けて2つのタイプの人がいると思っている。

それは「声を掛ける人」と「声を掛けられる(のを待つ)人」の2つである。

大学の入学時や新卒として就職した時のことを思い出してみてほしい。

性格のベースとして明るそうな人が「さまざまな人」に声を掛け、それを無意識か意識的か分からないけれど待っている人がいる。

では自分はどっちだろう?と言うと、大きく分けると「声を掛ける人」だが、敢えて細分化するならば「声を掛けられるのを待つ寄りの声を掛ける人」あたりのポジションだと思っている。

これまでの人生の様々な場面を思い出してみても、全体に対して働きかけをするほどではないが、機会を見つけてどんな人(存在感のある人やあまり目立たないような人問わずという意味で)にも声を掛けて自分を通じて人と人を繋げることがよくあった。

「声を掛ける人」の中には敢えて自分と同じように少し目立つ存在の人にしか声を掛けない類の人もいる。この場合「さまざまな人」という点に合わないため、コミュニケーション能力があるとは言えないのかな、と思う。

ただ、最近漠然と思っているのは「声を掛けられる(のを待つ)人」の方が生きやすいのだろうな、ということ。

たぶん世間的なイメージでは「声を掛ける人」の方がコミュニケーション能力があり、人生において得していると思われているんじゃないかなと思っている。

かく言う私はどちらかと言うと「声を掛ける人」。こういうのは経験則からしか言うことが出来ないし、自分で言うのもどうなのという感じだが、「声を掛ける人」というのは対人関係においてバランスを取る役割を担い、多方面に気を遣う、俗に言う「良い人」なんだと思う。

バランスを取ることや多方面に気を遣う反面、結構精神を擦り減らしていることが多い。

一方「声を掛けられる(のを待つ)人」は自分がバランサーになる事は少なく、ある程度自分の思いのままに生きている、ように見える。

その立場になったことがあまり無いため真には理解出来ていないので憶測でしかないけれど、声を掛けられ待ちの人は万が一声を掛けられなかった場合に孤独になるのかな?でも結構な割合でどんなコミュニティにも「声を掛ける人」っていると思うんだよなぁ。すっごく失礼な言い方だけど「声を掛ける人」に助けられている「声を掛けられる(のを待つ)人」って沢山いるんじゃないかな。

コミュニティでのバランサー、繋ぎ目、良い人、ゆえに苦しいことも多いなぁと思うのです。

例えば飲み会ひとつ取っても、上司が私と後輩を誘ったとする。けれど上司が本当にコミュニケーションを取りたいのは後輩の方。ああ、繋ぎ目で誘われているなぁと感じることがあったり。

自分は本当は乗り気ではないことでも、メンバーを見て自分がいないとこの会はおじゃんになってしまうから断れない、だったり。

ここまで読んで自意識過剰〜〜って思う人がいるのも分かっているのだけれど、例えば後者の件で、自分が断ったことによって会が本当におじゃんになってしまった時、「せっかく企画者が考えてくれたのに残念な気持ちにさせてしまう」という考え方をしてしまう。

だからこそ、断ることを厭わない「声を掛けられる(のを待つ)人」が羨ましくて堪らない。

ま、私に勇気が無いだけって言われたらそれまでなんですけど。。

理解されにくいし「ウソだ〜!」と思われがちなんだけど、HSPの気質があると自分で思っている。

H=Highly
S=Sensitive
P=Person の略。

これは病気ではなく、あくまで気質の話。簡単なテストがあるのでご参考まで。
https://hsptest.jp

自分の考えを纏まらないままとにかくアウトプットする記事になりつつあるのは自覚した上で、コミュニケーションの希薄化についてもちょっと書きたい。

年齢関わらず昨今のコミュニケーションツールとして大きな役割を担っており、国内利用者数8000万人と言われているLINE。

簡単に変遷を追うと電話→メール→LINEといったようにコミュニケーションツールは進化していると思う。

よく「直接だと表情が見えるけど電話だと見えない。電話だと声色が分かるけどメールだと分からない。」なんて言うよね。メールとLINEの違いは「相手が読んだ(確認した)かどうかが分かる」ってとこかな……

何ていうか、電話ってその人の「今」を最もタイムリーに掴むことができるし、相手の反応がすぐ分かる。LINEは簡素で、既読を付ければ良いと思っている人も多くいるように感じている。

でも、うーん。それで良いのかなぁ。。

私は自分の意図することは言葉にしなければ伝わらないと思っている。態度で表したり空気を読ませたりするのは相手のことを考えていない身勝手な行動だと感じてしまう。

だから既読スルーは何を考えているのか読めず、相手を不安・不快にさせる可能性が大きくある。

っていうか既読スルーに限らず、やっぱり人とのコミュニケーションの基本は「相手の立場に立ってみる」ことだよなと色々考えて行き着いた。戒め。

読み返してみても結局何が言いたいか分からない文章になってしまったけれど、とにかく私は少しでも良い人をやめて楽に生きていきたいなぁと思った話でした!

完!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?