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不確定な未来だからこそ、 そこに挑んでみたくなる。観察して、考えて、実践してみる。進み続ければいずれ答えがわかるはず。そう信じたいから信じてみる。
※この記事は2024年7月にANYニュースレターで配信した内容を加筆・修正してお届けしています。
観察して考察する事で世の中を俯瞰する。
根暗な私は、観察する事が好きです。
熱帯魚を飼っていた時はずーっと眺めているのが好きでした。
エレファントノーズフィッシュを飼ってたのですが、眺めすぎてたら手からエサを食べるくらいになりました。
ここで考察するに、エレファントノーズフィッシュにしてみれば私もエレファントノーズフィッシュの生活環境の一部になっていたと考えられます。
水槽の中にある、ポンプ、身を隠すための壺、水草、そして私とエサ。
生きる為に必要なエレメントとして存在していたのではないかと思います。
さらにこの事象を俯瞰してみてみると、火、車、エアコン、スマホ、インターネットなど、
初めは人間の生活に不要に思えたモノも今では必要不可欠なエレメントになっている事と結びつきます。
AIや仮想通貨、ダムや森、石油や風力。金や権力
今の世界には新しいモノやコトが生まれては消えていく。かと思いきや消したくても消えないコトやモノもあります。
なぜ、在り続けるのか?なぜ、消滅してしまうのか?
何が必要なのか?何が不要なのか?
今はまだ答えがわからないコトやモノもたくさんありますが、
いろいろと観察して考察するコトを続けられたらと思います。
右、左、右。移りかわりゆく世論と政治
2024年は近年まれにみる選挙Yearだと言われていますね。
明日投開票の東京都知事選、11月のアメリカの大統領選も注目ですが、台湾、ロシア、インド、ヨーロッパなどなどと2024年の半分がすぎ、様々な選挙も結果が出てきています。
なんとなく、これらの選挙を観察していると、これまで世界的に左派方向に傾いているように個人的には感じていたのですが、2024年はなんとなく右派側に寄ってきているような気がします。
日本だけでなく、景気がよくない国はたくさんあり、グリーンな経済や世界は自分たちの暮らしに余裕がないと中々考えられない。まずは自分たちの暮らし、自国の安定が優先。そんな傾向を感じられます。
長期目線で見ているとグリーンな経済と世界を実現しにいった方が結果として雇用も生まれ、地球環境も良い方向へ向かう希望が見出せる。しかし足元をみてみると自分のことで精一杯。
余裕が少なくなってくると右派寄りになってくるのかなぁと思います。
とはいえ、優しい心が人々から失われたわけではないと思います。
資本主義や政治に振り回されない、明るいヴィジョンを持ちつつ生きていきたいですね。
現代において善く生きるということ。
観察をして気づいた事を考察しながら深める。世の中を新しい視点で眺める。
そしてもう一度考察してみる。と、結局その時その時の状況の中で明るいヴィジョンも持ち、”善く生きる”ことが私たち個人でできる事なのかと一つ考えつきます。
その連鎖が大きな転換期や革命めいたモノを生み出し、世の中に対して普通でなかった事やモノがスタンダードになっていくのかと思います。
私に出来る事は、引き続き育てたい山に出会えるように日々学ぶ事と、バッキバキのコーヒーを焙煎してファーストクラックをお届けする事、自然と遊び尊ぶ事、世界の潮流と息子の成長を観察しながら善く生きる為にできる事を模索して実践していくことくらいです。
最近の観察結果としては、息子に早くも”歯”らしきものが生えてきました。
みなさんも最近の観察して面白かった事、気づいた事、コーヒーと共に考えたり私たちにも話してみてください。楽しみにしております。
あとがき 2025年2月頃
トランプ政権が2025年1月に発足して、この頃思ってたより強烈な右よりの世界になったと感じています。大手企業がこぞってDEI廃止へ面舵いっぱいになったり、気候変動への対応もやっぱりな展開。
ここらで声をあげたりどのような世界へ進んでいくのか対話を通じて合意形成が我々一人一人の間にも必要な気がします。
ニュースレター冒頭のスタンダード化する話を、ここ最近PRに関する書籍を読んでて同じような内容を目にしました。その書籍ではPRは”あたりまえをつくる”と表現していました。
といっても"あたりまえ"を簡単にはつくれません。度重なる対話が様々な方面で重要になり、そのためにはとっても時間もかかるし労力もかかる。
そう、簡単にはこの世界をかえれないし"善く生きる"というのも面倒臭いものなのだと思う。
面倒臭く生きよう。