受験体験記
こんにちは、民事です。
受験体験記(とこれまでの人生経験期)を書きました。ただの回顧録ですので受験生のためにはあんまりならないと思います。受験生はこんなもの読んでいたら落ちるぞ。
1.志望動機
まずなんで東工大を志望したのかというと東工大しか大学を知らなかったから(大嘘)です。まあやっぱ時代は東京だよねってお話。あと私が逆張りなので、自分の高校からあんまり行ってない大学で志望者が私1人しかいない東工大を目指したというのも、もしかしたらあったかも?
2.小学校のときのいじげんのおべんきょう
ぼくは、小学校5年のときに学きゅうほうかいをけいけんしました。休みじかんにクラスのみんながきょうしつに立てこもろうとしてつくえを高くつみ上げて、とびらにかぎをかけていました。みんないきいきとしていました。先生はおいかりというかあきれていました。けっきょく、休みじかんもおわりにさしかかったころ、先生たちによるひょうろうぜめにあい、あっけなくむけつかいじょうとなってしまいました。こうわかいぎがひらかれ、その中できょうとう先生はじどうたちのだんけつ力をたたえていました。6年になったとき、一れんのじけんをうけ、たんにんがかわりました。じじつ上のしょうりということです。いいおもいでです。ぼくは立てこもりにはかたんしなかったんですが、5年生のときのたんにんの先生はあんまりすきじゃなかったので、すこしうれしかったです。ごめんなさい。
3.エスカレーター小中
中学校へはお受験なしにエスカレーターで上がれました。優秀だったからです。いえ、公立だからです。エスカレーターではないです。お受験がなかったってだけです。中学の思い出は、好きな子と2人で帰ったことです。結局恋敵に邪魔をされ、それ以降はうまくいきませんでした。それ以外はとても楽しかった中学時代でした。中3はちょうどコロナ禍でしたね。まあ大変だったかもしれないけどそれもそれでいい思い出にしておこう。
4.高校時代
高校受験もまあ突破して高校生活が始まりました。高校時代は毎日100時間は勉強していた気がします。多い人でも1日24時間しか勉強できないので、ライバルに差をつけられたと思います。私はスタディプラスをやっていましたが、一度に23時間59分までしか記録できない機能に憤りを感じていました。
5.大学受験大戦開戦with未練
私立は慶應の理工と早稲田の基幹理工を受けました。理科大は受かってもあんまり行きたくなかったので受けませんでした(傲慢)。早慶の受験の1週間弱はずっと東京(神奈川)に泊まっていました。全然お勉強がはかどりませんでしたね笑。TikTokとか見てばっかで気づいたら時間が過ぎていました。まあでも多少は勉強してましたよ。ただ正直言って東工大受かるとあんまり思ってなくて浪人は嫌で、それでいて私立は早慶しか受けてないので早慶どっちかひっかかってくれのお気持ちだった(ここでも傲慢)のにやばかったですね。そんなこんなで私大受験も終わりました。慶應はそこそこ自信があり早稲田は受かったかなあぐらいの手ごたえだった気がします。どっちの大学もだけど英語がむずいですよね。時間足りんよ、おーん。早稲田は理科も時間足りないですよ。その辺は過去問の感じと同じだったので驚きとかはなかったのですが。過去問は3年以上はやったと思います。
帰りのバスではIZ*ONEばっかり聴いてました。IZ*ONEは中学時代好きだった例の子が私に推していたグループです。現在は活動を終了してしまったんですけど。ああそうだ、東京滞在中に足切り突破の通知が来ましたが足切りされるやつとか正直…そういうことを言わない😠いや、でも共テで600点くらいは東工大受験生なら突破できるんじゃない?どんなに文系苦手でもね。
6.大学受験大戦大詰め
私大受験から帰って1週間ほどしていよいよ大本命のために出征しました。地域の皆さんが千人針を… なんと行きの道中で慶應戦の戦果を知りました。10時の時報とともに大本営の勝利を聞きました。試験直後は自信がありましたが、合格発表の日が近づくにつれ忍び寄る浪人の影といった不安を感じていたので大本営の勝利を知った時の喜びも一入でした。そして、大正義慶應義塾大學の後ろ盾を得てついにグレイト岡山(ヒント:最寄り駅)の戦いを迎えたのです。私の全身に若き血の流れを感じていた。そのおかげで1日目の数学と英語は難なくこなすことができた。数学、英語と我が軍優勢で迎えた(個人の感想)2日目の物理でグレイト岡山大學(東工大)が逆襲を始める。けしからん。2024東工大物理の問題を見た方にはわかるだろう。それからのことは、全く記憶にない。
ただ一つだけ確かなことは
試験官がなんでだろ〜なんでだろ〜のメガネの方に似ていたということだ。
あと、2日目の日に早稲田戦の戦果が知らされ、試験が終わって駅まで歩いてる途中でUCAROで戦果を知る。大本営勝利と知ったが、慶應戦ほどの感動は無かった。帰りのバスではドラゴン桜を無性に観たくなって受験が終わったにも関わらず観ていた。結局受験終わって暇だった期間にシーズン2まで一気見しました。あゝこれも人生。
これにて長かった受験もひと段落と。ちょっと寂しくて。いやもうこんなこと二度とごめんだね。ごちそうさまでした。
7.終戦
大学受験大戦は東京工業大学側の無条件降伏により終戦しました。つまり無事、合格しましたとさ。おしまい。
※以下は真面目なお話すぎて正直眠くなっちゃうから眠れない夜にでも読んでください。
8.多少の真面目な話
私は高1の時から東工大を目指していました。1年の時の模試はだいたいCかD判定だったので、とりあえず志望校に書いておくという感じでしたが、高1の冬の駿台模試で初めてB判定が出てそこから割と本気で東工大を目指すようになりました。1、2年のうちは志は高く掲げるべきだと思います。2年以降は成績が安定してきたように思います。ただ高3の夏の全統では数学の偏差値50代でE判定を取ったことが一度ありました。まあ、そんなずっとうまくいくわけではないということですね。なんで悪い判定を取っても悲観せず次に向けて進んでいけばいいのよ。
冠模試は東進を2回、河合を1回受けました。夏休み前の本レは割と余裕のA判定で秋の本レがB判定、秋のオープンがD判定でした。オープンのD判定は結構ショックでしたね。志望校を下げることも考えました。それでも今から別の大学の対策を始めるよりもこれまで対策してきた東工大合格に向けた勉強を続けた方がいいと考えて、このまま東工大を目指すことに決めました。結果的にこの決断をして本当に良かったと思います。NHK BSの番組「英雄たちの選択」で取り上げてほしいぐらいです。私が東工大A判定を取った時は数学ができたときです。東工大は数学の出来次第だと思います。(本試も数学でだいぶ稼ぎました)あと大学の友達に聞くとC、D判定だった人は結構いるから判定に一喜一憂しないこと!陳腐な言葉になってしまうんだけどやっぱりこれなんだよなあ。あ、そうだ。高3になってからは11時に就寝、6時に起きて1時間勉強してから学校に行くというのを習慣にしていました。朝型でも夜型でも毎日の習慣を作るというのは大事なんだと思います。
部活についてですがバドミントン部に所属していましたが、1年で退部(笑)をしました。理由としては主に、勉強に力を入れようと思ったからです。休日は土日とも半日練習だったので、部活がものすごくキツいわけではありませんでした。ですが土日2日間勉強するのと土日半日ずつ勉強するのとでは、多少サボってもというか勉強しない時間があっても前者のほうが成績は伸びるわけなんですね。私も先述の通り部活を辞めた2年頃から東工大で戦えそうな位置まで成績が上がってきました。文武両道はそう簡単にはできません。でも文武両道できる人はいます。そういう人は本当に尊敬してました🥹あとは単に部活の雰囲気が自分に合わなかったから辞めたというのもあります。なんで部活が楽しいなら辞める必要はないです。
勉強時間は多い方ではありませんでした。高3の休日でもだいたい8〜10時間ぐらいだったと思います。最低限の勉強時間は必要ですが、単に長時間やればいいってわけでもないんだと思います。
9.考察
慶應の試験会場は全ての階が同じような見た目だったので、一度別の階に行ったら試験を受ける教室がどこかわからなくなりました。これは周りと同じような生き方をしていると社会の波に飲まれてしまうという慶應義塾大学の斬新な学生を求める姿勢の表れだと感じました。
早稲田の試験会場は刑務所みたいでした。入学した学生を監獄に閉じ込めておく、すなわち仮面浪人は許さないという大学側の思いが伝わってきました。試験監督が3人いて、2人は大学生のバイトみたいな人でした。試験中に手を挙げてその人たちに時給を聞いてる人がいました。というのは冗談です。試験後、早稲田駅まで長蛇の列になっており30分以上はかかったと思います。電車も満員。うんざりだよ😮💨
あとこれ入試あるあるだと思うんですけど休み時間に男子トイレの前に行列が出来てて、小の方で並んでるのかと思いきや大の列だったみたいなことを毎回経験したので、これはライフハックとして覚えておいてほしいです。そして、その行列式の値を求めさせるという問題が旧旧課程とかでは出題されていたみたいです。ごめんなさい。今までのことは忘れてください。
10.戦後
なんだかんだで高校時代は真面目に勉強ばっかしてたので高校の友達とかとあんまり遊ばなかったけど、大学生になってから高校時代の友達とよく遊ぶようになって今はとても楽しいですね。東京はほんとたのしいよね。毎日渋谷で大騒ぎしてます。今度ライブカメラを見てみてください。てなわけで今日はこの辺でおいとまさせていただきます。今後も投稿はしていきたいですが、受験に関することを綴ろうとは考えておりませんが、悪しからず。また次回の投稿でお会いしましょう。