親知らずを今月2本も抜いた私エライ
自分を褒めることは自分を大事にする行為だと思う。
数年前、新卒で入社した大手の会社を辞めた時、もう頑張れないと思って辞めた。
その後好きなことをし続ける生活をして、あの時私はとても頑張ってたと思えるようになった。
今ではもうあの頃の生活はできないから、本当に本当に頑張っていた。
自分を受け入れて認められるようになってからは、自分で自分を褒めるようにしている。
誰よりも自分を認められるのは自分であると思うから。
夫と一緒に暮らすようになってからは、ことあるごとに「褒めて!!!」と私以外の人から褒めてもらえるようになった。
そんなこんなで、私は自分に甘いので常々自分を褒めているのだけれど、今日、2本目の親知らずを抜いた。
2週間前に左上、今日右上。
左上を抜いたあとに1週間痛みと違和感がなくならず、あの思いをまたするのかと思うと今日という日がきてほしくなかったけれど、きてしまった。
抜いた。麻酔が切れた頃に薬を飲んで今は痛みがおさまっているが、いつ再発するか…。
この痛みに耐えられている私が偉くて、夫にも褒めてもらった。
私は、頑張りすぎているときに頑張っていたと認めてあげられなかったから思うのだけど、自分を褒める人間が結構少ないと思う。
褒めたり自分を認めたりすることは、決して停滞でもない。
そこで満足してやめる人はやめるかもしれないけれど、エライ、頑張れた、次も頑張ろうと踏ん張る人だっている。
自分に甘いわたしだけれど、褒めることは自分を甘やかしてる行為ではなくて、自分を奮い立たせる行為だと思う。
甘やかされたらやめる人はやめるし、奮い立たせられたら頑張る人は頑張る。
どう捉えるかはそのときのその人次第だけれど、私は1日の中で昼寝をしなかっただけでも自分を褒める。
充実した1日にできたなって。
そうすると、とても生きやすくなった。
なにかやらなきゃ、と焦る自分を落ち着かせられた。
何よりも、「褒めて」と言って褒めてくれる夫がいることもとても大きい。
お風呂から出てドライヤーできただけでも褒めてもらう(笑)
このnoteを最後まで読んでくれた人はここまで読んでくれてとてもすごいと思う。
ぜひ今日の1日を振り返って褒めてあげてほしいな。
私はこの暑い中外に出ただけでも偉いと思う。
私偉すぎる。その上親知らずまで抜いたなんてもう今日1日頑張りすぎ。
よい週末を!