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ばあちゃんとの最期のキロク


久しぶりに会った祖母は、病院でもう動けない状態になっていた。
いろんなものをつけられて、言葉も話せず、片目しか開けられなかった。

面会時間は15分。

絶対泣かないと決めたのに、1分でその決意はなくなってしまった。
祖母はもう話せる状態でもなく、認知症が進んでいると聞いていた。

なのに、わたしが話しかけるとすごい反応してくれるのだ。
「えりだよ」というと、「えり」と呼んでるようにも聞こえた。


私が話すたびに何かしら、ばあちゃんからの反応がある。
なんて言っているのかがわかってあげられなくて申し訳ないのだけど、わたしからも話しかけ続ける。


ニュージーランド行ってたんだよ、今は兵庫で夫と住んでるよ、次は富士山が見えるところに引っ越すよ、だから会いに来てね。

一縷の望みにかけて、次の約束をする。


涙でぐしょぐしょ、鼻水じゅるじゅるなわたしのせいか、ばあちゃんも涙が出てた。
ぐっしゃぐしゃな顔になりながらも笑顔をつくる。

面会時間はとっくに過ぎてるのに、看護師さんたちは呼び出さないでいてくれた。
もしかしたらわかっていたのかもしれない。


本当は昨日の夜に一度、心臓は止まったそうなのだ。

祖母が途中から反応がなくなるのを感じる。
看護師さんが急いできて、今心臓が止まっていると言う。

まだ頑張ってという気持ちと、とうとうか…という気持ちと頭の中はごちゃごちゃで。


「11:02、息を引き取りました」

そう言われた時、「頭が真っ白」って言葉が似合うほど、わからなかった。
わかってても、わからなかった。

看護師さんから何を言われたかうろ覚えだけど、遺体を拭くために一度出るように言われた。

遺体という表現ではなかったけど、もう本当に魂はない「遺った体」なのだ。



「ばあちゃん、ありがとうね」
そう言って部屋を出て、涙が止まらなくて、どうしたら良いかわからなくて、叔父に連絡するために一階に降りた。

「私が最期でごめんね」
そう伝えると、最期に会えてよかったねと言われた。

ごめんねとありがとうと悲しさと、いろんな感情の中、看護師さんがこの後のことを少し教えてくれて、祖父母の家があった場所に帰った。


ばあちゃんと話していた間、触れた身体は温かかった。
明日会う祖母の身体はどんな体温なのか。

考えるだけで泣いちゃう。

でも、ばあちゃんは頑張ってくれた。
本当だったら昨日だったんだよね。
それを、私と会うために頑張ってくれて、ありがとう。

親族として、いろいろな手続きがあるために、今月いっぱいは生きていてほしいという願いがあった。
それは家系として大事な話だから、わたしも同じ気持ちだったけど、いざばあちゃんと話していて、亡くなった今、もう十分ばあちゃんは頑張ったよとも思った。


「大好きだよ、愛してる。一番尊敬してる。どんなばあちゃんになっても綺麗だよ。」

言いたいことは全部言えた。
ばあちゃんの反応はあったから、生きているうちに全部言えたの。

ありがたいなあ。
直接ばあちゃんに言いたいことが言えて、最期お別れができたなんて。

でも正直言うとお別れはしてない。
また会いにくるねって私は言ったから、祖母はきっとまた会いにくる。

どんな姿になっても、大好き。
どれだけ泣いてしまっても、ちゃんと笑顔で見送るからね。


その後、きれいにしてもらった祖母と対面すると、案の定というか、身体が冷たかった。

あのとき、つい昨日まで温かかったのに、と涙が出る。


田舎なので、他の人との葬儀が被り、2日後がお通夜で、3日後が葬式に。
その間、祖母と2日間も一緒に寝れた。

ばあちゃんは寂しがりやだから、一緒に寝れてよかった。

一番「最期」を実感したのは、やはり棺の中に花を手向けたとき。

もう、この身体は焼かれてしまう。
魂がない身体なのに、ずっとそばにいる気がしてて、そこに器がなくなる寂しさを感じる。

もちろん涙は止まらなかった。
この文章の記録として途中まで書いていたけれど、最期の別れが終わった後は書けなくて、今やっと書いている。


祖母のお通夜も葬儀もたくさんの人がきて、別れを惜しんでいた。
それほど彼女は多くの人に貢献し、家族からも愛されていた。

7つの習慣で「終わりを思い描くことから始める」とあるが、改めて知る、こういうことかと。

きっと祖父の時はこんなに人が悲しむことはないだろう。詳しくは書かないけれど、身近な人で考えたときにそう思う。


祖母の生き様も死に際も、本当に素晴らしかった。わたしにたくさんのことを教えてくれた。

ただただ、ばあちゃんの孫でよかった。
ぐちゃぐちゃな家庭だけど、そのために私は井上家に生まれたのだ。


今生かされているこの命、どう使うか。
私の人生はまだまだこれからだ。


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