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ゴミの城〜010~ゴミ屋敷の成り立ちを考える

これまでのお話

 父親が「なぜゴミを集めることになったのか」を考えてみた。なにぶん母親は健在なのだが、少し心が不安定なので母から父親のことを聞くことが出来ず、自分で見たことや兄から聞いたことを元に憶測をしてみた。

 ゴミと書いたが、本人からしたらそれはゴミではない。部屋にあるあらゆる物を父に見せ、捨てて良いかと尋ねたが、答えは決まってこうだった。
「それは使うんだよ」
 僕から見たらゴミでも父から見たら使う物、使える物なのだ。使う物は捨てない。当たり前のことだ。

 元々、テレホンカードや記念切符などを集めていたりと父には収集癖があったが、人並みで、それに異常にお金をかけているといったこともなかった。

 好き嫌いが激しく野菜と肉が食べれず、食事もひとりだけ別、アルコールは飲むが強くもなく、すぐに顔が赤くなるが酔っ払っても少ししつこくなるだけで、怒ったり暴れたりすることもなかった。照れ屋で僕の子供を連れて行っても笑って挨拶をするだけで、孫と一緒に遊ぶことは一切なかった。仕事は家の庭にプレハブの小屋があり、そこで革の型抜きをしていた。性格は頑固で人の意見は聞かないタイプ。家族の中でも父親に対してはっきりと物を言うのは僕だけで、兄と弟は平和主義といったところだ。父と母が喧嘩をしている所は、ほとんど見たことはなかった。

 二十年ほど前に僕や弟が結婚をして家を出てからは、母と兄の三人暮らし。僕は結婚しても隣町に住んでいたので、子供を連れてちょくちょく実家へ帰ってはいたが、基本、実家には上がらず母と一緒に買物に行ったりと、父とは挨拶をする程度になってしまった。

 きっかけは仕事を辞めた十五年ほど前からだと思われる。父に時間が生まれたからだろう。自分では食べもしないトマトやナスなどの野菜をプランターで育てはじめたり、近所を散歩したりと父の日常が変わった。その辺から段々と家の周りにも物が増えてきて父に会うと「ちょっと、かたしなよ」と声をかけてきたのだが、物は増えるばかりだった。

 七年ほど前に実家があまりにも汚いので毎週、仕事の休みの日に片付けに行っていたことがあった。だが何度目かで僕が父の行動に怒り、
「もうやらない! これを片付けるのに何百万もかかるからね」
 と、投げ出してしまった。原因は僕が片付けてゴミ袋に入れた物を僕が帰ったあと、父はその袋を開けて中からゴミを出して別の所に隠していたのだ。そもそもそのゴミは、捨てて良いかを父に確認をしている場所のゴミだ。捨てて良いといったくせに。そのうえ僕が帰ったあと、父の機嫌は悪くなるらしかった。

 いまから思えば、そこで我慢をすれば良かったのだ。

 元々、兄は父とはあまり会話をしなかったし、母が苦言を呈すると父が怒るから、益々父は孤立していったのだと思う。そして極めつけが、近所の集合住宅が解体されたことだった。

 近所にある大きな集合住宅が解体され、住民が退去してゴミの集積場に大量の物が出た。それを拾ってきていたと兄に聞かされた。木で出来た大きくて重いテーブルやビルの3階くらいまで届きそうな脚立、重くて大きなガラスの花瓶などがごろごろあるのは、そのせいだ。こんな物をどうやって持ってきたのだろう? 家には車がないのだ。

 一階の部屋が物でいっぱいになり、そうなると母と兄は益々一階には寄り付かなくなる。なにしろ歩くスペースもないのだ。他人と話すこともなく、物を拾ってくるのが日課になっていったのではないだろうか? 以前は、釣りが好きだったので、そちらに気持ちを注げば良かったのに……。

 だが、そうなった父に価値観は通用しなかった。

 勿体ない。が元にあると思うが、ここにある物を捨てるには何百万もかかるよ。どちらが勿体ない? と聞いても父には通用はしなかった。最期は歩くのも辛そうでトイレへ行くのもやっとだったというのに、亡くなる数日前、僕が捨てたゴミ袋まで這うように進み、ゴミ袋を開いて中から物を取り出していたそうだ。ゴミ屋敷を片付けるのは、その本人が生きている限りはとても厳しいと思う。

 それでも父親は良い人だった。照れ屋で頑固だったが優しい心もたくさん持っていた。ただゴミの件においては相容れないものがあった。

 生きる希望がそこにあったのだろうか? 

 僕の「一緒に家を片付けようよ」と言う言葉に父が希望を見いだせなかったのは、七年前に投げ出した僕に責任がある。それでも父の生きる希望が「物を集める」という中に見いだせたのだとしたら、仕方がない。実家を掃除していて頭にくることがたくさんあるが、喜んでとは言わないが、ほんの少し、笑って片付けようとは思う。

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続き ~011~ 後ろ正面だぁーれ


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