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空の信号機〜006〜ショートストーリー

 
 信号が赤から青に変わり、黄色に変わってまた赤になる。毎日毎日、何十年とその繰り返し。それでも僕はそれに誇りを持っている。 
 だから、隣の信号機がほんの数秒早く、赤になることも許せなかったし、信号を守らずに進む車や歩行者が許せなかった。

「すべては安全のためだ。これは人の命にかかわることなのだから」

 また一台、僕を無視してスピードを加速した車が交差点へと突き進む。それ見たことか、右側から来た車を避けようと、車は縁石に乗り上げてしまった。幸いけが人は居ないようだ。
 すぐに警察官が来て、しばらくの間は僕の役目を彼らに取られてしまう。隣の信号機は『これで休める』とほっとしている。彼には人の命を預かっているという自覚が無いのだろう。深夜になり、人も車も来なくなると必ずさぼっているしね。

「……もう、いやだ。今までに何人もの人間が僕の目の前で、事故を起こして亡くなっていったことだろう。そんなものはもう見たくない」

 真夜中、僕は旅に出た。信号を青に切り替え、地中に埋まっていた体を引き抜いた。長年過ごした街を離れ、片足で跳ねながら当ても無く前へ前へと進んだ。その間、何基もの信号機が一定の間隔でランプの点灯を繰り返していた。果たして、その中の何基が『生命を預かっている』という自覚を持っているのだろうか。また何機が『失った命を想い』涙を流しているのだろうか。
 太陽が顔を出す頃には青い海まで来ていた。定期的に繰り返す波、風に乗った水しぶきが僕の体に触れた。

「……これが海か」 

 とてもいい匂いがする。不思議と波の音を聴いていると気持ちが楽になっていった。
遥か遠くに島が見える。

「あそこへ行ってみたい。あそこなら誰も居ないだろう」

 そのまま砂浜を跳ね、海へと入っていった。海の中は様々な魚が縦横無尽に泳いでいる。ここで彼らの信号機をするのも悪くは無かったが、いつまでも海の中に居たら僕の体が錆びついてしまう。
 海の底を何千、何万回と飛び跳ねた。しばらくすると、僕の青いランプが再び海面に顔を出した。砂浜を駆け上り、荒地を進み、岩だらけの山さえ飛び越え、島で一番の高台へと登った。
 高台から島全体を見渡す。小さな島だ。人影もうごめく動物も居ない。左右前方が海。太陽が西の方角に下がろうとしている。もうじき月が顔を出す。
 海から送られた潮風が心地よかった。僕は信号を青から赤へと切り替えた。ここに住もう。そのまま、体を土の中へと埋め込んだ。
 その日から穏やかな日々が続いた。毎日、誰も見ることの無いランプを赤、青、黄色と順番に切り替える。この島には誰も居ないが、そんなことはどうでもよかった。それは誰も事故を起こす人が居ないということだ。それでいい。
 それでも、夜になると僕の目の前で亡くなっていった人々が頭から離れなかった。

「……結局、僕は逃げ出してしまった。僕にも生命を預かっているという自覚が足りなかったのだろうか」
 
 そう考えると決まって、僕のランプは黄色や赤が素早く点滅して、胸が張りさけそうになった。
 そんなある日、鳥が群れをなしてやってきた。動く生き物を見るのは何カ月ぶりだろう。僕はランプを青に切り変えた。ここは安全だ。通っても大丈夫だよ。
 その中の一羽が僕の頭に留まった。

「なんで、こんな所に信号機があるのさ?」

 鳥が僕に話しかける。

「君たちは渡り鳥かい。いったい、どこまで行くの?」

 僕の問いに鳥が答える。

「まだまだ先さ。場所は分からない、……匂いかな。行かなくちゃ。って思うんだ。きっと本能ってやつさ」

「……本能か。僕も一緒かな」

 その一羽を残して、島から鳥の群れが遠ざかっていく、頭に留まった鳥が羽を羽ばたかせて僕にこう言った。

「ここは、自由な空だ。信号機は要らないよ」

 そう言って飛び立っていった。僕は慌てて彼に言葉をかける。

「僕の使命なんだよ。どこにも安全なんてものはないよ。なぁ、気をつけて行くんだぞ!」

「あぁ、ありがとな」

 鳥が群れの中へと戻り、島を離れていった。

 僕の周りで月日がゆっくりと、それはまるで海面に浮かぶ流木のように緩やかに過ぎていった。
 自然は僕と違って様々な色を魅せる。朝になれば空が青や水色に変わった。そして、日が沈む頃には薄紅色やオレンジ色へと変わっていく。
 雨が降れば灰色の空になり、黄緑色だった木々も濃い緑へと変わる。そして真っ黒な夜が来る。そこには、黄色く光るまばゆいばかりの月がこの世界を眺めている。なんて、この世界は素晴らしい色に満ち溢れているのだろうか。
 ……僕はたったの三色だった。赤と青と黄色。同じ色でも、僕がいま見ているものとは、伝えるものも与えるものも違っていた。きっと僕は相手に威圧感しか与えなかったのだろう。
 気がつかなかった。僕一人では前後しか安全は守れない。左右から来る物には、いったい誰が指示を出すというのだい? 
 たまに疲れるときもある。そんなときは、ゆっくりと進む。今では隣に居た仲間の信号機がひどく懐かしい。
 今年も渡り鳥の群れが島へやってきた。その中の一羽の鳥が僕に声をかけた。

「久しぶりだね。おっ、今日は信号が黄色じゃないか」


 鳥が僕の頭に留まって羽を休める。

「もうじき嵐が来るからね。気をつけて飛ぶんだよ」

「ほぅ、君にそれが分かるのかい?」

 そう言って鳥が不思議そうな顔で僕を見つめた。

「あぁ、僕にも分かるんだ。君たちも同じだろ? 肌に触れる風の匂い、空の色に雲の動き方、自然はいろんなことを僕に教えてくれるんだ」 

「そうか。それなら空にも信号機が必要だな」

 そう言って彼は笑って飛び去って行った。僕はその言葉がたまらなく嬉しかった。慌てて彼に声をかける。

「ありがとう!」

 渡り鳥はくるりと円を描いてから、群れの中へと帰っていった。

 今日も、ゆっくりと色々なものを感じて、信号を青や赤、黄色に変えて一日を過ごそう。……そう、それが僕の使命なのだから。

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