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『浪漫飛行』歌詞考察

 歌詞考察へお越しいただき、誠にありがとうございます。

 私は客室を担当いたします徳川酔易(とくがわよいやす)でございます。酔い止めを飲み、シートベルトをしっかり締めてください。

 今回の旅のご説明に移ります。今回扱う歌詞は、米米CLUBさんの『浪漫飛行』になります。

 それでは参りましょう。

 まず、この歌は最後まで私たちに語りかける口調が続きます。

 ここでは、その語り手を自身の心としましょう。

 私は心と各々の自我は、別々のものだと考えています。心は運命と限りなく近いものである一方、自我は自由意志を持つわけですから。

 そしてもう一つ、私は運命を悲惨で残酷はバッドエンドだとは考えていません。全ての者を幸福へと導くものだと考えています。というより信じています。

 なので、この語り手、心、特に本心という名の運命は、私たちに幸せになってもらいたくてアドバイスしているということになります。

 ここからは、その見方ですんなりとは受け入れにくい部分を解いていきましょう。

 まず、『逢いたいと思うことが』の『逢いたい』ですね。誰に『逢いたい』んでしょう。

 ここでは「理想の自分」、「心の底からなりたい自分」としましょう。自分の心が自分に語りかけているのですから。一番の歌詞は、自分の本心、夢を諦めないでほしいことを伝えようとしているのだといえます。

 次は、『君と出逢ってから』ですね。いつなんでしょう。ここでは生まれた時からになります。一人の人間の誕生という奇跡を謳っているのでしょう。

『トランク一つだけ』はどうでしょうか。今回の場合は命、肉体、脳とかになるでしょう。その前に『夢を見てよ』とありますし、『浪漫飛行』という歌自体が、まだ夢が実現していない人にエールを送るような語りかけ方になっているので、夢を見る私たちに対して身一つで想像することで自由に駆け回ろうということを伝えたいのだと思います。
 また、『トランク』には色々なものが詰まっています。なので、想いとしてもいいでしょう。本心は運命的なので、想いと完全に一致しているわけではありません。初めは一致していないところから始まり、それを一致させることが、人生の目標の一つであるとも言えるでしょう。そのためにも『浪漫飛行』によって「自分は本当は何を望んでいるのか」詳しくなる必要があるわけです。

『この My heart』。「いや、心と自我は別々って言っときながら、『My』って言うてますやん」って思ってますよね。安心してください。説明しますから。
 ここでは別々ではあるけれども完全に別物ではないことを表現しているのだと思います。私たちは運命によって生み出されたわけですから。
 それ以前に、『この』っていう言い方がしっくり来ないお客様もいるのではないでしょうか。別会社にはなりますがここで、『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくるあるセリフをお聞きください。
『このジョルノ・ジョバーナには夢がある!』。
 はい。そういう感じです。強調している雰囲気が伝わればいいと思います。「私について来い!」というような。

 ここからは二番になります。改めてシートベルトのご確認をお願いします。

 まずは、『そこから逃げ出すことは』です。ここは重たく捉えれば自殺ということにもなるでしょうが、それよりも生きながらの死、自分の夢、人生、与えられた使命を『あきらめ』ることとしておきましょう。
 初めに心、特に本心が運命であると言いました。運命は不滅です。だから、何をしても逃げられないのです。というか逃げなくていいのです。
『あきらめ』ることさえしなければ、必ずいい方向に行くわけですから。だから、ここでは忠告しているのでしょう。愛ゆえの。

『何もかもがしらないうちに 形を変えてしまう前に』。
 ここは耳がキーンと痛くなるかもしれませんのでご準備を。
 この部分は、自分を騙していくうちにそのことさえ忘れて、自分についた嘘でできた偽りの自分が本当の自分であると思い込むようになることだと思います。
 現実では自分を騙さないとやっていけない瞬間が幾たびもあります。ただ、自分を騙しているということは忘れないようにしたいです。本心は運命なので、その方向にいつかは辿り着くわけですから。

『その胸の中までも くもらぬように』も同じでしょう。

 ここからはラストのサビ直前から最後までです。立ち歩かず、着席いただきますようよろしくお願いします。

『一人じゃない』。
「心の中って一人じゃないの?」と思われたのではないでしょうか。
 心とは運命です。最終的には全体と繋がるのです。
 自分の心と向き合えるのは孤独な時だけです。そのため、孤独の苦しみと戦わねばなりません。
 なので、そこまで行けば孤独ではなくなると言っているのでしょう。

 最後は『時が流れて誰もが行き過ぎても』です。
 ここは壮大に解釈しましょう。
 私たちの本心は、私たちの関数のようなものだと思います。関数とは、y=2xのような、xに何かを入れるとyが出てくるものです。xに1を入れたら2が、2を入れたら4が出てくるというふうに。
 私たちは、私たちを形作る関数にこの瞬間を入れることでできたものなのです。なので、別の瞬間を入れると別の自分が生まれます。
 『時が流れ』ると『誰もが行き過ぎ』るのも理解しやすいでしょう。みんな、自分も含めて別のものになるんです。

 いかがでしたか。運命まで広げて解釈すると、運命からの愛を感じることができたのではないでしょうか。

 運命からの愛をお土産に、各々の生活にお帰りくださいませ。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 トランクはお一つだけですのでお忘れなく。

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