『heart bookmark』歌詞考察
こちらは、ボーカル『水瀬いのり』さん、作曲『武田将弥』さん、作詞『岩里祐穂』さんの、『heart bookmark』という楽曲の歌詞考察をする記事です。
ガイドを務めますのは私、心の図書館司書、徳川酔易でございます。
それでは早速、本を開いていきましょう。
全体が与える印象
まず、歌全体が与える印象についてです。
メロディの雰囲気は陽気で明るく、元気な曲ですが、能天気な明るさとは一味違います。
メロディ自体も軽薄なポジティブさは感じられず、リアリスティックな天使が舞っているような安定感がありますが、なにしろ私は絶対音痴なもので、メロディや歌い方についてはここまでにしておきましょう。
さあ、歌詞の方に参りましょう。歌詞なら語れるものがあります。
というのも、歌詞の中で、私の実家である心の闇、深淵を通っているのです。
一般的に、世の中における明るいものは、世の暗闇を避けることで生み出されるため、どうしても薄っぺらく、逃避的なものになりやすいです。
しかし、光は暗闇でないところにしかないわけではないのです。
心の闇、深淵はトンネルです。暗闇を抜けた先にも光があるのです。
この曲の歌詞は、そのトンネルを経由して書かれたもののように思われます。
トンネルを抜けたか、その前の状態の、少し先に光が見えている状態なのでしょう、この歌の主人公は。
『いつだってWe are all right!』
1ページ目を開いてください。
『いつだってWe are all right』です。
暗闇のトンネルの先にある光とは、全てを肯定する光です。
悲劇は部分でしかないのです。
私は最近、ゲーテの『ファウスト』を読んだのですが、その一幕、『天上の序曲』にて、この世の一切の主は、悪魔の働きをも全てを天国へと導くための仕事であると捉えていました。
ゲーテ自体が全てを肯定する無限に広い人格を持つ人間なわけですが、観念ではなく、心の底からそうすることこそ光なのだと思います。
ゲーテは光の人間で、その放つ光は不滅の輝きを持っていますが、それは永遠の虚無を肯定しているからです。
虚無はそれ以上失われるものがありません。だから、それをエネルギーとする光は失われることがないのです。
話が逸れてしまいましたが、この部分の歌詞には、そういう光を感じずにはいられません。
『きみの大好きが きみを作ってくよ』
2ページ目に参りましょう。
『きみの大好きが きみを作ってくよ』です。
私は、心の中心には、この世の真理があると思っています。
だから深淵と呼んでるわけなんですが、それは言い換えると心の底になります。
ここの歌詞では、「好き」ではなく、『大好き』と、『大』をつけています。
わざわざ『大』をつけるということは、生半可な「好き」じゃありません。心の底から好きなんでしょう。
心の底まで貫いているということは、この世の真理にまで達しているということです。
そして、この世の真理は全てを創り出すものです。私たち人間も、その心をも。
つまり、そういうことです。
『ダイヤモンドみたいな瞬間が"せーの"で降り注ぐ』
では7ページ目にいきましょう。
『ダイヤモンドみたいな瞬間が"せーの"で降り注ぐ』です。
ダイヤモンドは普通、反射、屈折して最も輝くようにカットされますよね。
つまり、めちゃ光を発しているということです。
また、全てを肯定する光は、永遠を肯定しています。
永遠とは、瞬間の集合体であり、瞬間そのものです。
だから、過去、未来、現在の光が『せーので』降り注ぐというわけです。
つまり天気は、晴れ永劫ダイヤモンドということです。
『誰も味方がいない日も 味方になれるそんな歌を歌って』
10ページ目をご覧ください。
『誰も味方がいない日も 味方になれるそんな歌を歌って』です。
「名は体を表す」という言葉がありますよね。
この部分もそれに近い気がします。
なぜなら、私が今まさに『誰も味方がいない日』を過ごしていて、その私にとってこの歌は、『味方になれるそんな歌』になっているからです。
この世界は皮肉でできている節があります。
因果応報、自分の言動は自分に返ってきます。
それは人だけではないのかもしれません。
私も改名しようかしら。「徳川酔易」って、乗り物酔いし易いからつけたけど、「全肯定マン」とかにしようかな。
そんなことはいいとして、
『ハートにbookmark!』
最後のページを開いてください。
『ハートにbookmark!』です。
心とは真理であり、真理には時の流れがあります。
現代では、忙しさや社会の醜さゆえ、心に蓋をし、時に流されるがままになりがちです。
しかし、私たち人間は心によってできています。
なので、その心と向き合い、心とは、人間とは何なのか、自分は何者か、何に苦しみ、何に喜ぶのか、何が『大好き』なのか、を知らなければなりません。
何度も言いますが、闇の先には光があります。実家が心の闇である私が言うのだから間違いありません。
だから、安心してトンネルを、一歩一歩踏み締めて進んでいきましょう。
ということが言いたいのだと思います。
心という名の、永遠の時の流れにしおりを挟むことで、また思い出せるように、今がかけがえのない瞬間になるように、という想いが込められているのでしょう。
あとがき
以上です。
あまり全部を語り過ぎると、そのようにしか見えなくなって、自分なりの解釈がしにくくなると思うので、ここまでにしておきます。
この歌のボーカルである『水瀬いのり』さんからは、度々深淵の香りが漂ってくるので、ぴったりな曲だと思います。
では、私はダイヤモンドの雨に打たれてきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。