『アイオライト』歌詞解説
この記事で扱うのは、ボーカル水瀬いのりさん、作詞・作曲 志村真白さんの『アイオライト』です。
アイオライトという石は、昔海賊が羅針盤代わりに使用していたということで、そこに込められた意味は、『迷わず進めるように』です。なので、皆さんが他の曲と間違えないように先に言っておきました。
では、案内人は私、エレベーターでもたまに酔う桃園涼明が担当いたします。それでは『アイオライト』の世界へ、出航〜。
お待たせしました。ここから本編に入ります。
最初の部分ですね。ここは自分の中に誇れ……。
え?歌詞は全部載せてくれないの?ですか?
すいません。著作権が心配なんです。沈まぬ船とも呼ばれる当船「ロストシップ号」も、法によっては簡単に転覆させられてしまうのです。
『零れた~笑った』
では気を取り直して。最初の部分、『零れた〜笑った』ですね。
ここは自分に誇れるものが何一つなくて、それを人の寄りつかないような場所、分野、もしくは心の中の闇(私の実家)にまで探しに行っている場面です。
でも、悔しさや悲しさに耐えることができないから向き合わないで済むように、涙は流していないことにしているのでしょう。
宝石みたいな眩いものでなくてもいい、何か一つ、一つでいいから自分を信じられる確かな証拠が欲しい。私も探しているところです。
次に行きましょう。『いずれ夜が〜出来るだろうか』までです。ここでは何かを掴んで自分を取り巻く闇が晴れた未来を想像しているのです。
逆算思考のスタート地点になれるほど具体的なビジョンではないのかもしれませんが、心の最深部に投影された想像は必ず実現するものだと信じたいですね。てゆうか信じないと生きていけませんよね。
『不安や~構わないさ』
では次。『不安や〜構わないさ』までです。サビ直前からサビまでになります。一つ前の『僕に出来る』ことの答えですね。
『アイ』が何を指すんでしょう。愛、I、eye、藍、逢い、か。「アイ」オライトにかけてカタカナになっています。何を当てはめてもいいんでしょうが、ここでは愛にしましょうか。
トルストイは、神は愛であると言いました。神とはこの世の理、真理です。つまり、愛=逢い=I=(eye,藍)ということです。愛とはこの世界そのもの、逢いとは縁起というこの世界を司る根源的な法の一つ、Iとは私たち、一人一人の中にこの世の全てがあるのです。
それを讃えようというのです。人は絶望の底にまで叩き落とされた時は、この世の理を信じるしかなくなります。それは弱さではなく、諦めない強さです。
『それでも〜生きたい』という部分。現代のニヒルでシニカルな風潮では嘲笑う人もいるかもしれません。しかし、その想いこそが生命の輝きなのです。これは不滅の光です。ここは人生のテストに出るのでよく覚えておいてください。
『未来が〜昏くても』。私の知る限り、永遠先の未来は虚無です。未来どころか過去も現在も虚無です。だから、私が採点者なら、ここの『僕』の回答は正解です。
しかしまだテストは続きます。私が問題作成者だとしても、「虚無」はまだ大問一の一です。現代では文字通り唯物的に虚無で終わりだと考えている人が多いですが、実はそんなことはないのです。
『すれ違って~だった』
それはいいとして、次に行きましょう。『すれ違って〜だった』までです。
まず『すれ違っ』た『人混み』は諸行無常のことでしょう。全体の歌詞の規模から考えても。
『照らした』の主語は誰でしょう。月だから太陽のはず。(『不安』と『戸惑い』)
さらに、ここはもう少し広く解釈して自分以外の誰かとしてもいいでしょう。自分以外の誰かが用意した光、希望に迷ってしまったのです。
それもそのはず、自分の中から自分で見つけた希望以外、全てまやかしなのですから。
一見無意味に繰り返される生と死の中で、偽物の希望に振り回されながら果てしなく続く苦しみに終わりがくることを幾度となく願いました。
それをこの歌の主人公、『僕』というか人間は、その過去を嫌います。だってさっきも出てきたけど弱いの嫌いなんだもん。
自分の中に何もなくて何かにすがるなんて弱い者のすることだ、と考えていました。
ところが、否が応でもその弱い者こそ自分、人間だったのだと気付かされます。
だって人間とは弱い生き物なんだから。
『どれほど~寄り添った』
そして次、『どれほど~寄り添った』までです。ここは永劫の視点で見なければほぼ必ず難破する魔の海域です。今までの部分はなんとなくでも誤魔化せましたけど、『何千と何億の時』とか言われたらさすがに吐いてしまうでしょう。
けれど安心してください。この船は沈みませんし酔うほどは揺れません。それに、薄々気付いている乗客の方もいるのではないでしょうか。
そうです、前半にわからなかった答えです。しかもその後ろに書いてました。
言ってしまいましょう。答えは「祈ること」です。だからこの歌を歌っている方の名前が『いのり』さんなのでしょう。
でも、「で、どうゆう意味?」って思っているんじゃありませんか?
そのもやもやした霧を晴らして差し上げましょう。
「祈り」とは何か、という話です。これがなかなか簡単には理解し難いのです。特に現代は宗教蔑視の時代ですからね。馴染浅いものになってしまっているのではないでしょうか。
ですが、「祈り」こそ人間の持つ唯一の力なのです。
この世界に自明なもの、当たり前なもの、確かなものは存在しません。全てそう信じているだけです。
だから、「信じる」という行為が人間の根源的な行為であり、その中でも能動的な部分こそ「祈り」なのです。
「祈り」は勇気、優しさ、誠実さの源です。
それこそが唯一永遠の苦しみに寄り添えるものなわけです。
『アイを~でも!」』
ラスト3です。もう少しの辛抱です。『アイを~でも!」』
アイオライトは羅針盤でしたね。「祈り」こそが羅針盤というわけです。
皆さんも「祈り」に導かれてここまできたのですよ。
そしてここで大事なお知らせがあります。
それは、心は真理だということ。その説明は私の別の記事で見てもらうとして(祈り)、その永遠に続くムービーフィルムのような真理に、自分のこの一生を刻みつけてやるということです!
『鼓動が』辛いというのは、肉体的に見ればわかりますね。そうです、生きることの根本は心臓が動いているということ。つまり、それが辛いというのは、生きること自体が苦しいということです。
それでも、『それでも、それでも!』と祈って堪えるのです。
『僕が~いくんだ』
ラスト2です! よくぞここまで来ました!
『僕が~いくんだ』の前半は、最初のサビと比べて能動的になっていますね。前を向いて歩き始めたということでしょう。
その次。もしかして、「答えないやん」って思いました?
物質的には、ってことです。
「祈り」は物質ではありませんよね。積極的に信じるしかないものです。
『それでも、生きる』。
人間は、虚無しかない世界でも、「祈り」があるから生きることを選んだのですよ。
ここ泣くところですよ! 『見ないフリ』しないでくださいね!
そして『一瞬』とは。
永遠が時間感覚のない、時間の次元に縛られないものであるならば、一瞬でも永遠なのです。
また、「祈る」ことに目覚めた人間は、永遠を生きています。永遠と向き合った後なのですから。
だから輝くのです。輝くからその光を守ろうというのです。
『「この夜~僕らで』
最後です! 目的地周辺ですが、私は音声案内を終了しませんよ!『「この夜~僕らで』です!
今を生きる我々は、「この苦しみを超えられる」と「祈った」人たちによって繋がれたバトンを持っています。
それを、不思議な縁で結ばれた我々で次に託そうということです。
お疲れ様でした! 無事ゴールまで到着できました!
どうでしたでしょうか。私なりの解釈は。
長かったですか?
それは仕方ありません。航海には時間を要します。はい、酔い止めどうぞ。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
一通り誰かの解釈を聞いた後では、同じ曲でも聞こえ方が変わってくると思います。
ぜひ、もう一度、ボーカル水瀬いのりさん、作詞・作曲 志村真白さんの『アイオライト』を聞いてみてください!