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待つ人、待てない人
せっかちな人がいるにしろいないにしろ、日本人は「待つ」ことができる人たちがだなぁ…と旅から帰って来てよく思います。
本日のわが社のとある一部門の会議室。
その日の議題は「お客様を待たせないために」といった内容でした。
議題はお客様と直接応対している社員から出されました。
1時間ほど話し合いました。
この会議で私たちが出した結論は、「お客様に応対するセクションの、その前のセクションの作業人数と作業量を増やす」こととなりました。「待たせない」ことは難しく、「待ち時間を短縮させる」ことを結論としたのです。
結果としてセクション全体としては仕事が増えましたが、待ち時間は少し短縮させることができそうでした。議題を出した社員は解決策が出来たので大満足で部屋を後にすることになりました。しかし、それ以外の社員は仕事が増えた為、大不評な結果となりました。後日職場の空気が悪くなることは想像に易いです。
仕事の効率を悪くしただけの変な話ですよね。
「待たせない」ことはできるのか
議題は「待たせない」でした。
広辞苑では「待つ」を「来るはずの人や物事を迎えようとして時をすごす。」としています。つまり、時間は関係なくお客様が「~迎えようとして時をすごす」という状態になったら時間は何分でも何秒でも「待たせる」のです。
待つことへのクレームはいろいろなところで起きていますが、病院などではこの「待たせる」ことについて研究をしている人たちもいるようです。
解決策でよく見かけるのは
・待たせた方への対応の改善
・あとどのくらい待つのかわかる、順番がわかる
・待たされる理由がわかる
といったものでした。
私たちが考えたのは「待たせない」は難しいので「待ち時間を短くする」でした。しかし、多くの研究では解決策が待つことを前提にしたものだったのです。
「待ち時間を短くする」という選択をした私たちはいずれ、「待たせる」を前提とした解決策を再度考えることになるのだろうと思います。
「待たせている」というストレス
今回、社員が議題を出したことには訳がありました。「相手を待たせることが申し訳ないと思った」そうです。
今回私たちが出した結論は「待ち時間の短縮」でしたから、この「申し訳なさ」は解決されることはありませんでした。
今回の議題は、お客様を待たせた為にクレーム出た・・・というものではありませんでした。あくまで「申し訳ない」ので「お客様を待たせないために」アイデアを。ということでした。
きっとこの考え方にもアプローチが必要だったのだと思います。
「申し訳ない」と思うことはストレスになります。加えて、状況が把握できてないことや、どのくらいお客様を待たせるかが分かっていないことは、待たせる側も不安となりストレスとなります。
「待たせる」ことを前提とした対応方法や、状況を丁寧に説明できる技術、相手を安心させる話し方・・・等、お客様のストレスの緩和させるための個人としての技術の向上も求められたのだと思います。
さらに社員自身が「申し訳ない」で考えを止めずに、なぜ申し訳ないと思うのか、具体的に何が申し訳ない要因となっているのか、分析して考えられるなど、自己へのストレス対策の技術も必要となったと考えられます。
そもそもお客様は「待っていた」のか
トンデモ会議のすごいところ。
クレームが出たわけでもなく、「申し訳ない」ので始まった会議。具体的にお客様をどのくらい待たせているかという時間の提示もなければ、お客様からのクレームもないため、具体的なデータが一切なく開かれました。
会議を始めた私たちは「待たせている」と前提としたお客様のことを理解していないのです。
スマートフォンでひたすらゲームをして時間を過ごされている人もいれば、時計をしきりに確認しながら座っている方もいます。待ち方は一様ではないですし、時間の過ぎ方も一様ではないでしょう。「待つ」という状態は個々の感覚に委ねられるものなのです。
お客様が「待っている」と言ったらそれが1秒でも「待たせている」のです。1時間座らせていても「待っていなかった」と言われればそうであることもあるかもしれません。
私たちにはまずお客様についてのリサーチが必要でした。
とある会社のそんな一幕に立ち会った一社員の反省でした。
余談:とある国のとある町の話
そもそも、この「待つ」という感覚。
あちこち旅に出てきましたが、「待つ」という言葉はあってもその概念がない国もたくさんあると思うんです。
駅のホームで降りる人がいても待たず乗り込んで駅のホームは電車が来るたびに大混乱とか、チケットを買うのに列を作って待つなんて習慣がなくてチケットカウンターまで猛烈な押し合いへし合いを繰り広げるとか・・・。
そう思うと「待つ」「待たされる」「待たせる」これが理解できて話し合える日本は素晴らしいと思うのです。
そうしてそんなことを考えながらボーっと会議に参加してはいけなかったという反省もしてみたいと思います。
さて、また明日も仕事頑張ろう・・・。