『森の生活』抄
たとえ一本の線であろうと
飾り立てようとは夢にも思わない。
ウォールデンのほとりに住んでいれば
神と天国にいちばん近づけるのだから
私は石ころだらけの岸辺。
あるいは湖面を渡る微風。
私の手のくぼみには
ウォールデンの水と砂が、
私の思想の高みには
その奥深い憩いの場所がある。
────『下巻 湖より』
なぜわれわれはこうもせわしなく、人生をむだにしながら生きなくてはならないのであろうか?
腹も減らないうちから餓死する覚悟をきめている。
今日のひと針は明日の九針を省く、などと言いながら、
明日の九針を省くために、今日は千針も縫っている。
────『上巻 住んだ場所と住んだ目的より』
生活がいくらみじめであろうと、そこから顔をそむけたりはせず、ありのままに生きることだ。
自分の生活を避けたり、罵倒したりしてはいけない。
それだって当人ほど悪くはないのだから。
生活は、諸君がいちばん富んでいるときにいちばん貧しくみえるものだ。
粗捜し屋は天国にだって粗を見つける。
貧しくても、生活を愛したまえ。
────『下巻 むすびより』
もしひとが、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、普段は予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。
────『下巻 むすびより』
私は失意の歌を歌うつもりはさらになく、止まり木に止まった朝のオンドリのように、元気よく誇らかに歌うことにしたい。
隣人たちの目を覚ますことさえできればそれでよいのだ。
────『上巻 住んだ場所と住んだ目的より』
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東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。