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地上的な餘に地上的な

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2022年11月から2024年5月まで、同タイトルでNoteに投稿した記事を集めました。スピリチュアルなテーマを扱っていますが、このところそれらに依存しない全く新しい地平線が拓け…
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#今こんな気分

【第三回】酔客は家路のことを考えてはならない。

「家」という言葉は、いっさいの生活条件、すなわち家屋の物的環境全部を包含すべきである。 なぜなら、誰でも知っているように、家を選定するには、家の内部がどうかということよりも、家のなかから見た眺めがどうかということの方が大切だからである。 家が田舎にあるということと、周囲の景観が大切なのである。 ⧪ 風光きわめて美しい山中に建っている家があるが、そういう場合は、一片の土地を自分の所有地として塀でかこんだりする要はすこしもない。 家を出て歩をはこぶところ、山に対してうずくまる

用意はいいですか? 今から二元世界を壊します。【東洋的考え方・生き方③】

問題はいくら探しても外界にないこの世イコール二元世界ですから、問題はこの世と言い換えることも出来ます。 それが無くなれば、あなたにとっても、どなたにとっても、問題もテーマもなくなります。 この世が無くなる? 大丈夫です。 だってあなたも言ってたじゃないですか? この世は仮想現実ですね? それは、言葉の遊びじゃないですね? サムネのタイトルじゃないですよね? 仮想が外されれば、現実が見えてきます。 仮にそれを現実というのなら、ホントの現実が見えて来るでしょう。 それが

【第一回】詩のごとく、画のように

煩悩は宇宙の土台を支え、才稟はその屋根を塗り上げる。 君子に軽蔑されるより市井の小人にはずかしめられるほうがましである。 有名な学者に認められないより、試験官に落第させられるほうが気がきいている。 人は詩のごとく生きるべく、ものは画のように見えなければならない。 しんみりとはするが、思えば悲しくも侘しい情景がある。 霧や雨などがそれである。 詩的にこそ見ゆれ、その実堪えがたいことがある。 病気と貧乏がそれである。 かわいらしい気もするが、実際は野卑な声がある。 花売り娘の

『森の生活』抄

たとえ一本の線であろうと 飾り立てようとは夢にも思わない。 ウォールデンのほとりに住んでいれば 神と天国にいちばん近づけるのだから 私は石ころだらけの岸辺。 あるいは湖面を渡る微風。 私の手のくぼみには ウォールデンの水と砂が、 私の思想の高みには その奥深い憩いの場所がある。 ────『下巻 湖より』 なぜわれわれはこうもせわしなく、人生をむだにしながら生きなくてはならないのであろうか? 腹も減らないうちから餓死する覚悟をきめている。 今日のひと針は明日の九針を省く

たましいの歌

ぼくはたましいがなんなのかを知らない 知らないということは ぼくがたましいそのものだからなんじゃないだろか? きっとそうにちがいない じぶんのことはわかりきっている そのはず でも あなたはいったいなにもの? といわれても とまどってしまうのは それが わかりきっていることだからじゃないだろか? わかりきったことは、せつめいなんてできないよ 愛とか 神とか そうした概念はいったい何なのか? だれにも答えられないのは それらがたましいレベルの言

「そう思うのはどうして?」なんてつぶやかされている。誰にさ?

紛争がどーのという傍らで 「外はカリッカリ、中はフワモチ❤」 等式関係 わかるかなあわかんないだろうなあ 不条理とかシュールとか それ、マトリクス見てるんよ 面白いというものが面白くない 面白くないというものが面白い わかるかなあわかんないだろうなあ 陰と陽は一つだよ 牽引する二つが故意に離され退けられてきた わかるかなあわかんないだろうなあ 世のため人のためは何のため? 光のためだけだよ わかるかなあわかんないだろうなあ トカゲの尻尾切り? 違うねえ、君が