マガジンのカバー画像

地上的な餘に地上的な

85
2022年11月から2024年5月まで、同タイトルでNoteに投稿した記事を集めました。スピリチュアルなテーマを扱っていますが、このところそれらに依存しない全く新しい地平線が拓け…
運営しているクリエイター

#自分

アキラメからの

先日、何気なく流れているTVの内容に耳を傾けた。 大正製薬が体脂肪を減らせる薬(内臓脂肪減少薬)を開発・販売したとか・・。 メタボに効く、という薬は国内初とのことで、「中年になっておなか周りが気になり出した」という潜在的ニーズに向けたもの。 半年、1年後のスッキリしたおなか周りを夢に描きつつ、ややくたびれてきた中年層を中心にその薬は売れていくんだろう。 話の内容は、もっぱらそのクスリを服用し、効果が出ることでどんなに変わるか、といった内容に終始していた。スタジオの一同の反

含み笑い集【撰】

笑いにもいろいろあります。 ”ツボ”にはまった際の、断続的な、抱腹絶倒型のものはともかく、 それ以外にも・・・ 子供や動物など無邪気な存在を目にした際のほほ笑み。 初々しい少年少女のはにかみ笑い。 見事な大自然を目の前にした際の、自ずからはちきれるような清々しい笑い。 広隆寺の半跏思惟像や観音像のような悟りと安心をもたらす笑み。 何ごとか発明発見をした際に漏らす哲人や科学者の高踏的な笑い。 これらは「美しいもんだなぁ」なんて思います。 でも、「笑い」って大概は意識しての

瞑想か、はたまた迷走か? 意識について

あなたの正体は意識である君いま何考えてる? ──なんだい、だしぬけに・・。 てったって、そのー、いろいろだよ。(セブンに行って、ラザニア買って食おうかなとか、仕事でやり残してるアレどーすっかなーとか、ベランダで煙草やるには寒くなってきたなーとか、そろそろ床屋に行かなくっちゃなーとか、、) それって、自分で考えてる? ──そりゃ、自分で考えてるさ、自分のことだからね。 そうだよね。 ただ、それは正しくは「考える」ということとは違うね。 むしろ「反応してる」といったほ

目覚めるってなんだろう?

Wよく「目覚める」という言葉を耳にします。 このところ、ますます頻繁にその言葉を耳にすることが多い気がします。 そう言う自分もご多分に漏れずその言葉をよく使うんですが、まあ、何らかの状態から目をさました感覚になっているから、そういう気分になってんだろう・・・そう思うし、そう思われていいと思います。 ただ確実に言えるのは、それはその人の個人的な真実なのだから、もう止めようがないものだということです(止める必要もないけど)。 さて、一概に「目覚め」とは言いますが、僕はそれ

そもそもの次元上昇(アセンション)

知識ではなく心がそれを可能にする スピリチュアル界隈で、いずれも最終的なテーマになるのが「アセンション」という概念ですね。 ところがこのアセンションなるものがきわめて抽象的なそれで、しかも様々な方々が様々な角度で云々することから、どーも本質からそれてしまっているような気がするのは私だけでしょうか? ちょうど、大方の方が抱く(そして私もそうでしたが)「ニューエイジムーブメント」が、その後単なるサブカル的なそれに堕したかのようなイメージと同じです。 一言で言えば、コンビニエ

信じないことは疑うこと、考えること。

信じるということ「個」はグローバルに埋没した 信じる。 安易に何でも信じてしまう。 疑わない。 つまり考えない。 私の周りには、いやどなたの周りにもそんな人が圧倒的に多いのではないでしょうか? 現に私の身内にしてからが、何度騙されてもTVショッピングでまたしても不要なものを買ってしまう、ということがもはや「趣味化」している現実があります💦 昭和初期くらいまではまだ、 「ならん! それは拙者?の流儀に反する」 などと、堂々と異を唱えたり、「個」を主張する野武士も多くい

信じていた人に裏切られた

何をもって「信じる」のか? 信じるから裏切られる 信じなければ裏切られない ということは、「信じる」という行為は すでに「裏切り」を前提にしている 大概は裏切った相手を非難する 裏切られた自分は「被害者」だと思いたがる (「害」を被るって、まぁ) 愛するあの人に裏切られた まさか、あの人がそんなことをする人だなんて信じられない わたしをぼろきれのように捨てるなんて 愛は憎に変わる あの人と出会わなければよかった 信じた私がばかだった 死んで花実が咲くものか(?)

用意はいいですか? 今から二元世界を壊します。【東洋的考え方・生き方③】

問題はいくら探しても外界にないこの世イコール二元世界ですから、問題はこの世と言い換えることも出来ます。 それが無くなれば、あなたにとっても、どなたにとっても、問題もテーマもなくなります。 この世が無くなる? 大丈夫です。 だってあなたも言ってたじゃないですか? この世は仮想現実ですね? それは、言葉の遊びじゃないですね? サムネのタイトルじゃないですよね? 仮想が外されれば、現実が見えてきます。 仮にそれを現実というのなら、ホントの現実が見えて来るでしょう。 それが

たましいの歌

ぼくはたましいがなんなのかを知らない 知らないということは ぼくがたましいそのものだからなんじゃないだろか? きっとそうにちがいない じぶんのことはわかりきっている そのはず でも あなたはいったいなにもの? といわれても とまどってしまうのは それが わかりきっていることだからじゃないだろか? わかりきったことは、せつめいなんてできないよ 愛とか 神とか そうした概念はいったい何なのか? だれにも答えられないのは それらがたましいレベルの言

「忙しい」の向こう側

この実生活から離れた事柄を考えている人、哲学的な問題に没頭している人などを見ると、多くの人たちはこう言う。 「私にも時間があったら、そういったことも勉強したいわよ」 「そんなことを考えていられるような身分に早くなりたいわ」 「あなたは幸せね、そんなことを考えてられるんだから」 「定年退職したら、そういうこともじっくりと勉強したいな」 「そんなことは暇人か金持ちがやることさ」 「あー、もっとゆとりがあったら俺だってそんなこともやるんだけどなあ」 「俺のような社畜にはそんなこと