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地上的な餘に地上的な

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2022年11月から2024年5月まで、同タイトルでNoteに投稿した記事を集めました。スピリチュアルなテーマを扱っていますが、このところそれらに依存しない全く新しい地平線が拓け…
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#世界

遁走する人たち(分離している世界)

何処から逃れようとしているのか?何から逃れようとしているのか? 何処から、そして何処に遁走しようとしているのか? 世界の奇怪な構造、その出来事からか? その陰謀の層 その底なし沼 疑心暗鬼 地震予告 火災 異常気象 転変地変 人口削減 全体主義 予言 神示 終末論 アポカリプス そこからか? それらは在りうべからざる世界だからか? 警鐘を乱打するのか? または隠れた闇を炙り出すのか? それはむしろ、闇に活力を与える結果を招く。 人々は、それによってさらに不安と恐怖

二元性を超える

アセンションの終局的な形態は、二元性を超えることである。 わたしたちがここにいる理由も、二元性を超えるためである。 つまり、(ほかならぬ今、この地上で与えられた)人生とは、二元性を超えることである。 まずは二元性を超えたところに自分がいることを悟ることである。 そこからだ。 それ以外は一切しなくていい。 (いまのあなたやわたしのそのままでいい) それは「目的」ではない。 スタートラインだ。 そもそもアセンションに「目的」はない。 脱出でもない 上昇でもない 統合でもな

こいつはひょっとして夢の続きか?

と、だれもが一度は考えたことがあるだろう。 大概は、いや単なる思い違いだと、覚めたアタマで否定する。 現実から見ればそうだろうが、 しかし「夢」から見ればそうではない。 今朝、夢を見た。 明晰夢に近い。 ははあ、そういうことだったのか、と何かが大きく腑に落ちた。 しかし、(素面のアタマで思い出しても) いったい何がどう「そういうことだったのか」分からない。 ということは、論理で納得したんではなく、もっと直感というか 霊感というか・・・ しかし、ああ、そういうことで、そうなる

目覚めるってなんだろう?

Wよく「目覚める」という言葉を耳にします。 このところ、ますます頻繁にその言葉を耳にすることが多い気がします。 そう言う自分もご多分に漏れずその言葉をよく使うんですが、まあ、何らかの状態から目をさました感覚になっているから、そういう気分になってんだろう・・・そう思うし、そう思われていいと思います。 ただ確実に言えるのは、それはその人の個人的な真実なのだから、もう止めようがないものだということです(止める必要もないけど)。 さて、一概に「目覚め」とは言いますが、僕はそれ

神国日本の末路と世界の再生

神国という言葉にはさまざまな思惑が付着している。 だからおいそれとそんな言葉を口に出せない。 第一、日本=神国と規定した時、日本以外の外国(万国)はそうではないと言っているに等しい。 実際、「外国」という言葉には、もともと特別な意味が含まれている。 それは、文字通り、「神国の外の国」という意味である。 同様に「外人」とは、「神の外の人」という意味がある。 はなはだしい国粋主義。 鼻持ちならない選民思想。 誰しもがそう感じる。 または、そう感じるように教育されている。

先入観を外して見えてくるもう一つの世界

この方が紹介する動画はいつも切り口が大胆で興味深いものがあります。 一旦先入観を外して世界を見ると、いままで見えなかったものが見えてくるようですね。 また、今の時代はそんな目線が大事かもしれません。 ただし、あちら側に行きっぱなしでは、真相からズレます。 「常識」との対話も大事。 くれぐれも常識にとらわれずに、しかも常識を,離れないようにしたいものです。 蛇。 大蛇。 まんが日本昔ばなしにも大蛇にまつわるお話はたくさん出てきますし、 あんなところこんなところにも、うじゃう

ことの世界とまことの世界

こどものころ、世界はキラキラ輝いていた 何でもできる という感覚が普通にあった まわりにある草花は友達だった トンボや蝶は家来だった フェアリーや目に見えない存在も 意識の中で寄り添っていた ひねもす遊びまわるなかで それら存在との交感が 冒険を後押ししてくれた 止まることなく いつも走り回っていた 永遠という世界なんて知らないけれど そこには確かに永遠の時間が流れていた なかには木偶のようにつったったままのものもいたけれど そんなものが理解できなかった みんながキ

ふるさと(自分)は遠きにありて思ふもの

ふるさとを離れて、異郷に出てみて初めてその何たるかが分かる。 海外で暮らしてみて日本の良さや悪さが分かるという話もよく聞きます。 そのふるさとという生活圏で日々営々と暮らしている人たち自身にはかえって見えないものってありますね。 都会のサラリーマンにしても、田舎で農業に従事されている方も、もうその環境がいいとか悪いよりも、日々の仕事の忙しなさで、ゆっくりと客観的に自分の周囲を眺めるなんてなかなかできないことです。 同様にこの地上で齷齪と生きているものたち、つまりわたしたち

静かなる大どんでん返し

いつからだろう。 おそらくは数年前からだ。 実は白状すると、あまり興味が無くなってしまったのだ。 何に対するそれかといえば、世の中の事象にたいする興味というか、関心だ。 それがほぼ消え失せてしまった。 残念なことだ。 とーとー、世の中は、人(私)から興味すら持たれないものになってしまったのだから(笑)。 これは由々しき事態である。 それは、虚無主義の極みと言えばそうだ。 「大丈夫ですか?」 の問題だから。 ⧪ もちろんダイジョーブなわけがない。 病気といえば病気だ。

【光と闇】世界の二極化が止まらない

今ここにきて大きく変わってきたことが一つある。 変わったというより、絞り込まれてきたというべきか。 それは、物事(世界)や人が大きく二つに分かれてきたということ。 しかも、それがどんどん加速していって止まらないということ。 ⧪ こういう見方もある。 闇はより暗い闇に 光はよりまばゆい光に 悪はもはやその正体を隠せなくなるほどに これまで振りまいてきた「業」でもって、自らを支えきれないまでになってきた。 ⧪ また、こういう見方もある。 長い間闇の世が続いた。 そ

信じていた人に裏切られた

何をもって「信じる」のか? 信じるから裏切られる 信じなければ裏切られない ということは、「信じる」という行為は すでに「裏切り」を前提にしている 大概は裏切った相手を非難する 裏切られた自分は「被害者」だと思いたがる (「害」を被るって、まぁ) 愛するあの人に裏切られた まさか、あの人がそんなことをする人だなんて信じられない わたしをぼろきれのように捨てるなんて 愛は憎に変わる あの人と出会わなければよかった 信じた私がばかだった 死んで花実が咲くものか(?)

「そう思うのはどうして?」なんてつぶやかされている。誰にさ?

紛争がどーのという傍らで 「外はカリッカリ、中はフワモチ❤」 等式関係 わかるかなあわかんないだろうなあ 不条理とかシュールとか それ、マトリクス見てるんよ 面白いというものが面白くない 面白くないというものが面白い わかるかなあわかんないだろうなあ 陰と陽は一つだよ 牽引する二つが故意に離され退けられてきた わかるかなあわかんないだろうなあ 世のため人のためは何のため? 光のためだけだよ わかるかなあわかんないだろうなあ トカゲの尻尾切り? 違うねえ、君が

スピリチュアライズしていく

いつの日からだろう おそらくは「今」だ だれもが知っていて だれもが知らない 「今」だ 今まででもない 今からでもない 「今」だ すべてがスピリチュアライズして行ってるのは 今が拡がる 珊瑚や海綿のように 過去も未来もそこにない なぜだ? どんどん抽象化していく 世界も自由も平和もなにもかも どーでもいいガラクタになってゆく 言霊は勝手に 世界をくくる くくるところから息吹いてくる くくった者の「色」が付く 自由も平和もなにもかも いつのまに

ホームズは生きていた

小説家や脚本家は、この現実世界の上に、新たな現実を創り出そうとする。早い話、嘘の世界、仮想現実の世界だ。 この嘘の世界はしかし、生き生きと生命の脈動を伴うことがある。 知ってのように、時折こちら側の現実の世界で一人歩きをするわけだ。 世界的に有名な、かのシャーロック・ホームズ氏などはその典型例だ。実際、小説上のその架空の人物は、あたかも実在するかのようにいくつものエピソードを残している。 架空の人物も実在の人物も一緒 例えば、「ライヘンバッハの滝事件(「最後の事件」)