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善(光)と悪(闇)は対立概念ではない。 まして相補性を成すものでもない。 それは、そもそも 比較にすらならないほどの別物である。 つまり、 善は、悪がなくては成り立たないものではなく、 光は、闇があって輝くものではない。 むしろ、 善の前で悪は逃げ隠れするし、 自らを取り繕う。 光があたれば、闇はたちどころに消え去るし、 その存在を許されない。 善は一元。 悪は二元。 悪とは亜の心。 亜すなわち、亜流、亜界。 偽物。 真似事。 世迷言。 たわごと。 この世が二元性の世界
こんにちは、 化け物狩りが趣味のもにこ堂です。 こわいこわい病のもにこ堂です。 終末論者もにこ堂です。 じゃないんですよ。 彼(敵)を知り己を知らば百戦危うからず です。 敵を知らない(目くらましされてきたから)で、敵の作ったマトリクスに埋没しつつ人生の終焉を迎えてはならない! これに警鐘を乱打しているのです。 わたしだけではありません。 そう言う方も増えていることでしょう。 まんまと嵌ってはならない! これを言いたいのです。 と、同時に世の中の陰謀に目覚めた方々
今ここにきて大きく変わってきたことが一つある。 変わったというより、絞り込まれてきたというべきか。 それは、物事(世界)や人が大きく二つに分かれてきたということ。 しかも、それがどんどん加速していって止まらないということ。 ⧪ こういう見方もある。 闇はより暗い闇に 光はよりまばゆい光に 悪はもはやその正体を隠せなくなるほどに これまで振りまいてきた「業」でもって、自らを支えきれないまでになってきた。 ⧪ また、こういう見方もある。 長い間闇の世が続いた。 そ
長き眠りの夢覚めて私はどういうわけか西行のこの歌に、何かしら惹きつけられるものがあった。だから、よく親しい人への便りなどで引き合いに出してきた。 私の勝手な解釈では、 長い間、あまりにも長い間、自分は無明の長夜を過ごしてきた。いったいいつになったら(イベントにより)目を覚まし、仏の世界にアセンションできる日が来るのだろうか? である。 どうも彼はそう願っていたような気がしてならない。 「長い間」というのは、今生という短いスパンにとどまらず、前世も、さらにその前の生も