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地上的な餘に地上的な

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2022年11月から2024年5月まで、同タイトルでNoteに投稿した記事を集めました。スピリチュアルなテーマを扱っていますが、このところそれらに依存しない全く新しい地平線が拓け…
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#3次元

5次元の取り扱い方 【FRAGILE】

ここでいう「5次元」とは、3次元から解き放たれた世界を指します。 それは、「永遠の自由・絶対の正義・無限の幸せ」の世界のことですから、何次元であろうが構わないのです。それが「サムシンググレート」であろうが「ゼロポイントフィールド」であろうが構わないのですが、そこにおかしな「色」をつけると、それは「考える世界」(3次元)に転落します。 ここで大事なことは、それは「知識」「考え」ではないということです。なぜなら、それらは終始3次元に成り立つ事柄だからです。 ましてや「理想」や

二元性を超える

アセンションの終局的な形態は、二元性を超えることである。 わたしたちがここにいる理由も、二元性を超えるためである。 つまり、(ほかならぬ今、この地上で与えられた)人生とは、二元性を超えることである。 まずは二元性を超えたところに自分がいることを悟ることである。 そこからだ。 それ以外は一切しなくていい。 (いまのあなたやわたしのそのままでいい) それは「目的」ではない。 スタートラインだ。 そもそもアセンションに「目的」はない。 脱出でもない 上昇でもない 統合でもな

二元性は異常である

いつからかそれは分断してしまった おそらくは、遠いむかしには一体となって繋がっていたもの。 それがあるときから分裂してしまった。 そんな物事がこの世にはたくさんあるように思えます。 魂と肉体 生と死 ・・・・ というより、 そもそも この世 からしてそうではないでしょうか? 「この世」とわたしたちが言うとき、 それはすでに、この世を離れた目線に立っています。 さらには、そこには多分の諦観が含まれていたりします。 「この世は、所詮そんなものだから」 「人はいつかは

アセンデッドマスターと焼き鳥屋で

「学問」とか「哲学」とか「宗教」とかになると、人は身構える。 なにか、余所行きの服に着替えなければならないと思う。 「神」とか「仏」とかになると、さらに洗面所で手を洗う。 それは、そのような滑稽な行為に及ぶわれわれが悪いわけではない。 もちろん発明者や発見者や開祖がうんぬんではない。 悪いといえば、後世その学理や哲理や教説をネタに、なんだかんだ難解で複雑な、権威主義的で、ヒエラルキー的なものとして換骨奪胎した学者やアカデミーやパリサイ人が悪いのだ。 事実、イエスはそうした