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地上的な餘に地上的な

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2022年11月から2024年5月まで、同タイトルでNoteに投稿した記事を集めました。スピリチュアルなテーマを扱っていますが、このところそれらに依存しない全く新しい地平線が拓け…
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#二元性

アセンション詐欺とアセンション【嘘に覆われた真実】

これは、いつものように単なる個人的な「覚書」です。 だから、決してあなたに理解してもらおうという野心も下心もありません。あなたに同意してもらうのが目的ではないので、寄り添ったりとか妥協したりはありません。 また、あなたを批判するものでも、私が「○○だ」という結論を出そうというのでもありません。 ただ、私はあなたに問いたいのです。 つまり、それは私の主張ではなくサジェスチョンにとどまります。 「そういう見方は可能でしょうか?」 「それはどういう意味を持ちますか?」 を、聡明な

二元性を超える

アセンションの終局的な形態は、二元性を超えることである。 わたしたちがここにいる理由も、二元性を超えるためである。 つまり、(ほかならぬ今、この地上で与えられた)人生とは、二元性を超えることである。 まずは二元性を超えたところに自分がいることを悟ることである。 そこからだ。 それ以外は一切しなくていい。 (いまのあなたやわたしのそのままでいい) それは「目的」ではない。 スタートラインだ。 そもそもアセンションに「目的」はない。 脱出でもない 上昇でもない 統合でもな

二元性は異常である

いつからかそれは分断してしまった おそらくは、遠いむかしには一体となって繋がっていたもの。 それがあるときから分裂してしまった。 そんな物事がこの世にはたくさんあるように思えます。 魂と肉体 生と死 ・・・・ というより、 そもそも この世 からしてそうではないでしょうか? 「この世」とわたしたちが言うとき、 それはすでに、この世を離れた目線に立っています。 さらには、そこには多分の諦観が含まれていたりします。 「この世は、所詮そんなものだから」 「人はいつかは

すべて嘘である。

善(光)と悪(闇)は対立概念ではない。 まして相補性を成すものでもない。 それは、そもそも 比較にすらならないほどの別物である。 つまり、 善は、悪がなくては成り立たないものではなく、 光は、闇があって輝くものではない。 むしろ、 善の前で悪は逃げ隠れするし、 自らを取り繕う。 光があたれば、闇はたちどころに消え去るし、 その存在を許されない。 善は一元。 悪は二元。 悪とは亜の心。 亜すなわち、亜流、亜界。 偽物。 真似事。 世迷言。 たわごと。 この世が二元性の世界

用意はいいですか? 今から二元世界を壊します。【東洋的考え方・生き方③】

問題はいくら探しても外界にないこの世イコール二元世界ですから、問題はこの世と言い換えることも出来ます。 それが無くなれば、あなたにとっても、どなたにとっても、問題もテーマもなくなります。 この世が無くなる? 大丈夫です。 だってあなたも言ってたじゃないですか? この世は仮想現実ですね? それは、言葉の遊びじゃないですね? サムネのタイトルじゃないですよね? 仮想が外されれば、現実が見えてきます。 仮にそれを現実というのなら、ホントの現実が見えて来るでしょう。 それが

縁なき衆生は度し難し?【後編】

人の数だけ言葉がある。 言葉の際に人がいる。 そこにはさまざまな想念や情念が息づいている。 ドラマチックなドラマがあり、ドラマチックではないドラマもある。 「生きてるんだもの、それでいい、それがいい」 みたいな、思わずどこかで聞いたような感慨が沸き起こる。 生きているぬくもりだけで SF映画などでありがちな(核戦争などで荒廃した)ほとんど人類が絶えた世界。得体のしれない巨大なシダ類に覆われた無人のビルの一室。 そこで、埃をかぶった一個のUSBメモリーチップを見つける

縁なき衆生は度し難し?【中編】

長き眠りの夢覚めて私はどういうわけか西行のこの歌に、何かしら惹きつけられるものがあった。だから、よく親しい人への便りなどで引き合いに出してきた。 私の勝手な解釈では、 長い間、あまりにも長い間、自分は無明の長夜を過ごしてきた。いったいいつになったら(イベントにより)目を覚まし、仏の世界にアセンションできる日が来るのだろうか? である。 どうも彼はそう願っていたような気がしてならない。 「長い間」というのは、今生という短いスパンにとどまらず、前世も、さらにその前の生も

なぜ「幸せになりたい」のか?

「幸せになりたい」という願望が人類共通の願いであったとき、それは、「いまだ幸せではない」ということを物語っている。 願望はそれを知っているから「願う」ものであり、 また、それを知らなければ「願望」はない。 つまり、私たちは「幸せ」を知っている。 そこまでは、確実な事実である。 しかも、「幸せになりたい」という願望は、人生の他のあらゆるテーマを凌駕して、ナンバーワンのそれである点、突出している。 だからこそ、万人が万人、みなこぞってその「幸せ像」を追いかけるのだ。 た