闇は悪ではない それを許容することが悪である
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(柿本人麻呂)
我が国が「言挙げしない国」というのは、なるほどその精神性の高さを伺い知ることができますね。形而上学的な世界をこの世でも維持することが美風とされたわけです。
事実「悪」を悪だと指摘することから、「悪」は力を得るわけです。
まるで量子もつれのような世界。
周囲を見渡せば、あれも悪、これも悪、それも悪かもしれないと、そんなことばかりがやけにかまびすしいのには驚かされます。
それが果たして「目覚めた」ことなのか?
それについて