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【恨】⑧ 考察対象:KPOP

散々「韓国文化は恨の文化である」という言説に疑問を呈してきました。


今回はK−POPの中に恨があるのかというテーマでお話をします。あるK−POPの書籍で「恨はモチベーションである」という「謎な主張」も昔ありましたが、それはさておき、今日は「そうはいうても恨の文化を継承した世界はK−POPにもみられるよ」というお話です。

恨の情緒は「終わったアイコン」であると述べましたが、エンターテインメントとしては、引き続き消費/消耗されています。ドラマや映画における「悲しい物語」や、大衆音楽における「バラード」、読者や視聴者投稿に見られる「悲しい事情(사연)」は、今でも多くの大衆の心をつかんでいます。

「悲しい物語」は、お涙頂戴の「新派」とも通じるものではありますが、より節制された悲しみの表現にすることで、以前よりも洗練されたエンターテインメントとなっています。ドラマ「秋の童話」(00)は、出生の秘密、交通事故、血の繋がらない兄妹、不治の病などストーリーはベタですが、悲運の愛という「悲しい情緒」が空前の大ヒットにつながりました。この情緒をそのままに引き継いだのが、韓流ドラマの代表作である「冬のソナタ」(02)です。突然の夕立に遭う少年少女、若い男女が雪だるまを作って楽しむシーンなどは、純粋文学に描かれるシーンのようでもあります。その後、ドラマの表現は飛躍的に向上し、ジャンルも多様化していますが、「悲しい物語」は現在でも愛されるジャンルの一つです。

悲しいドラマを盛り上げるBGMとしても活用されるなど、バラードは、大衆歌謡の中で確固たる地位を保持してきた。韓国バラードの父といわれる柳在夏(1962-1987)は、クラシックのバックグラウンドを持つシンガーソングライターで、若干25歳で、交通事故でこの世を去った天才という「悲しい事情」も、彼を特別な存在にしている。

名曲「愛しているから(사랑하기 때문에)」を収録した、彼の遺したたった1枚の同名アルバム(87)は、韓国バラードの歴史を塗り替えたと言われるほど、当時としては斬新な感性で作られていました。その後に誕生した韓国バラードの多くは「柳在夏の模倣」といわれたほどで、多くの歌手が彼の楽曲をカバーしています。

↓ロゼが歌っている사랑하기 때문에


バラードの皇帝シン・スンフン(1966−)、バラードの貴公子チョ・ソンモ(1977-)、バラードの皇太子ソン・シギョン(1979−)の他にも、ペク・チヨン(1976-)、パク・ヒョシン(1981-)、Gummy(1981-)、Ailee(1989-)など、各世代に名バラーダーが存在するのも、韓国社会においてバラードが愛されてきたことを如実に物語っています。

ダンスやヒップホップアイドルの時代に突入した00年代以降、バラードは歌謡界の中心の座からは降りたが、ドラマや映画のOSTの舞台で引き続き活躍しています。唱法や音楽性に加えて、歌詞にも別れや苦しみなどの「悲しい話」が描かれています。



ただ、これだけ悲しみを促進する商品が多いと、消費者側も「悲しみ消費」に目が肥えており、物語におけるベタな悲しみの表現や、似たようなバラードの量産は、「安易な新派」として作品の評価を低下させる要因ともなっています。映像作品の世界では、恨というと、過去の遺物のような古臭いイメージがあり、現代ものでは、セリフに用られることもほぼなくなっています。

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