
『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.02.08(14/68篇)
「ナターシャ」「ラ・ヴェネツィアーナ」(ともに1924年)を読む。
なんか急に完成度が上がった気がする。「ナターシャ」は、よくできているけれど、それがゆえにどこかで見たような話だ。そんなありふれた筋書きだけれど、ナボコフらしいロシアへの郷愁があって、幸せな時間を過ごす若者と対照的に老人の死が描かれている。
「ラ・ヴェネツィアーナ」は、この『全短篇』のなかでも長いほうなのだけれど、それだけ描写が鮮明で、わかりやすく、面白い。イギリスの館を舞台にして、その主人である陸軍大佐、絵画修復師のマゴア、その若き妻モーリーン、大佐の息子フランクとその友達シンプソンが主な登場人物である。
大佐は絵画収集を趣味にしていて、タイトルの「ラ・ヴェネツィアーナ」とは、セバスティアーノ・ルチアーニ(デル・ピオンボ)という実在する画家の作品であるとされている。
ちなみにその元ネタとなったのが、「聖ドロテア」という作品だ。特徴が一致する。
Wikipediaにあったので拾ってきた(1)。この絵を元ネタにした作中の絵は、次のように描写されている。
絵はたしかにとてもすばらしいものだった。ルチアーニは暖かな黒い背景に半ば横向きのポーズで立つヴェネツィア美人を描いていた。ばら色がかった布の間から浅黒く力強い首が伸び、布地は耳の下で類まれなるやわらかな襞を作っていた。左の肩からはチェリーレッドのマントを縁取る灰色のヤマネコの毛皮が落ちかかっていた。右の手すらりと長めの指は二本ずつに開かれ、今にも落ちかかる毛皮を直そうとしているようだったが、女はそのまま凍りつき、絵の中から黒目がちな瞳で悩ましげにじっと見つめていた。手首のまわりを白いバチスト生地のさざ波が取り巻く左手で、黄色い果実を入れた籠をもち、濃い栗毛色の髪に細い王冠の形の髪飾りがきらめいている。女の左側には黒い色調を遮って大きな四角い奈落が口を開け、夕闇の空気へ、曇りの宵の青色がかった緑の深淵へとまっすぐにつづいていた。
たまたまだけれど、最近西洋美術の本を読んでいて、池上英洋さんの『西洋美術史入門』を読み終え、佐藤直樹さんの『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』を読んでいて、その後ろには三浦篤さんの評判高い『まなざしのレッスン』やゴンブリッチの『美術の物語』が控えている。
僕のようなずぶずぶのド素人が『西洋美術史入門』から読んだのは正解だったようで、この本はコントラポストやエクフラシスやアトリビュートなどかっこいい言葉をたくさん教えてくれた。そのおかげで「ラ・ヴェネツィアーナ」の引用部分がエクフラシス(作品記述)であると今はわかる。
そもそもなぜ西洋美術に興味を持ち出したかというと、一つには山口つばささんの『ブルーピリオド』という(とても面白い)マンガの影響があって、それは藝大受験を描いた漫画で、才能に対する屈折や、向き合い方や、表現に立ち向かう怖さなどが丁寧に、それは丁寧に描かれていて、最新の11巻などは開高健の「裸の王様」なんかも思い出されてとてもよかった。藝大や絵画に関するマンガなので、当然西洋美術についても触れられるし、主人公が選択するのは王道? の油絵なのだから、興味を持つのは当然と言えば当然なんだけど、『ブルーピリオド』以前にも西洋美術への興味を搔き立てた本があった。
それは高山宏の『近代文化史入門』であり、その中で紹介されているいくつもの本であり、中でもワイリー・サイファーという人の四部作(『ルネサンス様式の四段階』『ロココからキュビズムへ』『文学とテクノロジー』『自我の喪失』)だ。何年か前に『ルネサンス~』に手を出したら、まったく歯が立たず、涙ながらに本を閉じた記憶がある。
今、入門をへて読み始めていると、まったく景色が違っているのに驚いた。それまでの僕は、イギリスの宗教改革が美術となんのかかわりがあるのか知らなかったし、ミルトンの描く『失楽園』が反宗教改革派の芸術に特有なヴィジョンによって生まれたということの不思議さを不思議と思わなかった(僕は絵画のような偶像崇拝を否とする清教徒のミルトンが、偶像崇拝の方向性を打ち出して信者を増やそうとした反宗教改革派と同じヴィジョンを持つことの違和感というものをまったくもって理解していなかった。もちろんこの理解は誤読・誤解かもしれないが)。
手順を踏むことで読めなかった本が読めるようになるという喜びを、久方ぶりに味わった気がした。
話がそれた。「ラ・ヴェネツィアーナ」だ。これは面白い。昨日「じゃがいもエルフ」がこれまでのなかで一番面白いと書いたけど、一日で越えた。ちょっと幻想的な一面もあって、その描写が絵のエクフラシス(使いたい)によって映えている。モーリーンとフランクのこととか、マゴアとシンプソンのこととか、謎を残す檸檬のこととか、いろいろ書くべきことはあるが、ここまでにしておく。
(1)聖ドロテア (絵画)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%A2_(%E7%B5%B5%E7%94%BB)