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『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.02.22(36/68篇)
「再会」(1931年)「アカザ」(1932年)を読む。
「再会」は、ロシアを離れドイツに住む弟・レフとロシアに残った兄・セラフィムとの十年(以上)ぶりの再会を描いた話。住む国や政治的心情や暮らしぶりのまったく異なった兄弟と会った時の気まずさがリアル。
「アカザ」は、国会議員の息子で、多分小学生くらいのプーチャという視点人物が、父が決闘するということを知り、恐怖に襲われるという話。
三人称だけど内的焦点化をしているので、決闘がどのようにして行われるのかとか、いつ行われるのかとかよくわかってない語り。そのために父の命がいつどのようにして失われるのかわからない、なぜ失われるかもしれないのかが理解できない恐怖感がよく伝わってくる。
語りに着目しながら読んだのは久しぶりで、それもル=グウィンの『文体の舵をとれ』に出てきたからだった。娯楽として読むだけならともかく、書くとなると視点(=焦点化)は意識せざるをえないというのはもっともだ。
視点を意識しながら読むのは久しぶりで、楽しかった。
ちなみにル=グウィンはナボコフの語りに否定的で、ナボコフの一行一行立ち止まらざるをえない美しさというものはあまり好きでないようだ。たしかにナボコフの比喩ってわかりにくいものが多い。外国人の感性だからとか漠然と思っていたけれど、どうやらナボコフの癖らしい。
ナボコフには光を液体として捉える比喩も多い。正直、光を液体のように感じたことがないのでピンと来ない比喩だなと思っていたけれど、繰り返すうちにだんだんわかってくるような気もして、ナボコフはナボコフで読んでいて楽しい。ただ、ル=グウィンのいうこともわかる。