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森田芳光『家族ゲーム』 ~どたばたシリアスシニカルきもシュールバッドなクソゲー
※ネタバレあり
モヤッと参上、モヤッと解決!
森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983)をみました。物語は、家族のもとに、新しい家庭教師がやってくるところからはじまります。
「フラっときたヒーローが、問題を解決する」話なんだろうな。。。
ところがヒーローは、家族の不穏さ、不気味さ、異様さをあぶりだしてゆきます。知らないひとが、隣にピタっと座って、顔を寄せ、わたしの思い出話をはじめたかのよう。ぞわぞわ。
シリアスなドラマとも、スラップスティックコメディとも、シニカルでブラックなコメディとも、キモくてグロいホラーとも、シュールな不条理劇とも、悪夢を描いたファンタジーともつかぬ。そのぜんぶじゃわ。それは、わたしたちのありさま。
このヒーローは、問題を、よけいモヤッとさせちゃう。
ひょうひょう、ボソボソ、ちゅーちゅー
家庭教師(松田優作)は、ひょうひょうと動き、ボソボソッてしゃべり、斜め上の行動を重ねます。なるほど「正体不明のヒーロー」は、「得体のしれない異物」に似てる。
一家の父(伊丹十三)は、豆乳や卵をちゅーちゅーすすります。乳も、卵も、ちゅーちゅーも、赤ん坊ってことよね。家庭教師は、父の飲みかけをすすって父になりかわり、学校に面談しにゆきます。家庭教師は、父のワイン、父と兄の豆乳、兄弟のファンタ(?)、弟(宮川一朗太)のコーヒーなど、男たち赤ん坊の飲み物を干してゆく。それもなぜか一気飲みで(笑) 母(由紀さおり)は、ワインを少し飲むだけです。
ぽちぽち、いちゃいちゃ
性的モチーフもぽちぽち。女子の着替え、弟の半裸、生理の話、告白、エロ本など。それは、性によってなりたちながら、性を隠蔽してる家族を明かすでしょう。母と兄弟もいちゃいちゃしてました。エディプス・コンプレックスってやつ?
くわえて家庭教師は、いくどか、同性愛的な仕草で、家族にせまります。性的に家族関係に介入しつつ、その異性愛を掘りくずし、家族の同性愛的構造を暴きます。たしかに家族ってそういうとこあるわ。
当の家庭教師も、ベタな異性の恋人がいたり、エロ本よろこんだり、暴力的だったり、実はマッチョなのですが。
地球での自由落下という奴は、言葉でいうほど自由ではないのでな(シャア)
弟が本屋で立ち読みしているのは、御厨さと美『裂けた旅券』です。すでにツイッターで、伴ジャクソンさんが指摘していました。弟の部屋にザブングルのプラモがある、とも。
部屋には、ザクとジムらしきものも映っています。シャアザクやガンダムじゃあないのは、虚構の(受験)戦争の一兵卒の模型ってことかな。近くのジェットコースターの模型が、決められた人生と非日常の両面を示すように。また模型は、「型通り」「典型像」の含みでもあるのかなあ。魔改造してもいいんじゃよ。いや、人生は魔改造しかねるものね。シャアザクとはちがうのだよ、シャアザクとは。
『ガンダム』が 1979年、『劇場版ガンダム』が 1981年、『ザブングル』が1982年、『家族ゲーム』が1983年です。
ところで彼は、ノートを「夕暮れ」って文字で埋めつくし「夕暮れを完全に把握した」とうそぶきます。「単純で反復的な努力で何かに到達できる」とする受験勉強に賛同してるのでしょうか、反発してるのでしょうか。もちろん世界は単純なことばで把握できるものではありません。けれどもゲシュタルト崩壊を通じて、世界の夕暮れる瞬間に触れたことでしょう。
ですよね?!
最後の晩餐で、ついに、家族の崩壊があらわになりました。家庭教師は、父のセリフに、無言のアクションをかぶせてゆく。マヨネーズ円月殺法の軌跡が美しい(笑) 兄弟もノって、どんどんエスカレートする。「よくわからんが、こういうものか」って思ってみてたら、父が「さっきからなにやってんだよ(怒)」 ですよね?!
外して、モヤッと宙吊るセンス。鮮やかなもんだ。映画全体でも、音楽を聴かせず、生活音を強調したり、照明を落としたり、机の天板や壁を透明にしたり、全感覚でモヤッとあおってくる。日常こそ異常。
「家族ゲーム」
「ゲーム」は遊びです。虚構です。だからこそ、現実を批判できるものです。けどこの「家族」は、いやになりつつ、部分的に投げ出しつつ、逃げ出さない。崩壊寸前の「家族ゲーム」をまじめに演じつづけます。家庭教師は、彼岸にかえってゆく。彼は、「問題を解決する」ゲームにのったフリをして、「家族ゲーム」にのったのでした。シリアスで、どたばたで、シニカルで、キモくて、シュールで、バッドなクソゲーに。
わたしたちも、そのゲームから逃げられません。DVや、「家族」の圧力から逃げちゃいけないってことじゃないです。わたしたちこそ、シリアスで、どたばたで、シニカルで、キモくて、シュールで、バッドなクソだからです。
いい映画ですね。