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日本大学フェニックスに関する一連の出来事を部外者からみたときに勝手に思いついた事柄などから

私はアメリカン・フットボール好きで、首都圏で働いた若い頃には、シーズンチケットを購入しほぼ毎週試合会場へ通い、強すぎる日本大学フェニックスを目の当たりにしてきました。ある種軍隊とも批判されたチームの雰囲気には多少の違和感を感じたものの、試合を終えた彼らがスタンドで他校の試合を観戦する様子を見る限り普通の大学生であり、そんな彼らが試合に臨めば鬼気迫るプレーを見せてくれることに当時の私は一種の憧れのような感情も抱いていた気もします。

そんなフットボール観戦歴のなかで、日大卒業生を始めとする多くのフェニックス・ファンの方々と知己を得ることができたりしたこともあってか、ただのファンとして部外者としてこの問題の発端になったと感じている所謂危険タックル問題からこの話題にはなるべく発言しないようにしてきたけれど、ここまで拗れてしまったいま、それについて少し感想を書いてみたいと思います。


この問題が拗れた一番根っこにある問題は、田中英壽前理事長にまつわる様々な問題だったと思っています。田中英壽氏が理事長だった当時から、そのフェニックスOBなど含めた側近の人たちや田中氏自身の不正については怪文書が出回ったりしておりました。その経緯はとあるサイト(フェニックスを超強豪チームに育て上げた篠竹幹夫氏の秘書を一時期されていた方が主筆)に詳しく、それを読んだ私がそこから勝手に妄想を膨らませたとき、今回のゴタゴタは田中前理事長退任後も旧田中派と反田中派の争いがくすぶっていることではないかという気がしています。
林真理子理事長をパワハラで提訴した澤田副学長は、野次馬的にみれば旧田中派ではないかと、そのため逮捕起訴された学生が「澤田さんならもみ消してくれるんじゃないか」と考え、それは田中前理事長時代の文化を継承していた人物だと認識していたからではないかと勝手に推測しています。

その他にも、これはあくまで可能性としてだけですが、実際にはフェニックスで同様の事態が過去発生していたり、他のサークルでも同様であることを大学側は把握しており、ここで完全にクリーンな日大を取り戻そうとした場合には、それにともなう問題が多発して収集がつかず日大という組織が崩壊しかねないのではと考え、そんな事態を終息させるためにフェニックスをある種の人身御供とし廃部にすることで対外的な関心と干渉を終わらせ、結果事態を終息させようとしたのではないかと考えました。
これについては単なる思いつきで根拠はありません。
私の勝手な妄想です。


そんな世間からバッシングを受けた日大フェニックスですが、危険タックルが発生後には外部から新たな監督を公募し、その結果見事に強豪チームとして復活したことは、アメフト・ファン以外にはあまり知られていないのではと思っています。

簡単に紹介すれば、バッシングを受けたチームの建て直しという火中の栗を拾うような役目を請け負われたのは関西の強豪チームでコーチをされていた橋爪功さんでした。この方は問題を起こしてゴタゴタしていた日大の監督に自ら応募された後、危険タックル問題によって活動停止の後に下位リーグに降格したチームを再度上位リーグへ昇格させ、結果見事甲子園ボウルへの出場するまでチームを建て直されました。

そんな方が当初の契約期間終了後も延長してチームを指導することを望まれていたにも関わらず、突然契約は打ち切りが通告され引き継ぎも不十分なまま後任はフェニックスOBの方が就任されました。

なぜフェニックスをここまで立ち直らせた方の契約をこれからもっと強くなる(なったで)あろう時期に契約を一方的に打ち切るのか、このニュースを聞いたとき私はそんな大学側の判断が全く理解できませんでした。しかし今から考えればこれも主導権を握ろうとする旧田中派と反田中派の争いの一旦だったのかもしれません。それもまた、現在の廃部となるかもしれない事態発生の遠因だったような気もします。

という私の妄想です。


では、今後のフェニックスはどうなるのか、どうすべきか。
個人的には廃部には反対です。
仮に廃部にならなかったとしても大学自体の体質が変わらない限り、フェニックスに限らず他のサークルなどでもも同様な問題が今後発生するのではと危惧します。
そのためには部継続には監督・コーチなどチームの上層部を一掃して外部の人材を入れた新体制を構築し新しいチーム運営を実現することが必須でしょう。
また、大学当局としてもチームのガバナンス体制、コンプライアンス教育の徹底など、学生に対するサポートも同じく必須だと思います。学生たちも卒業後は会社で働く、自ら起業するなど社会に関わっていく場合に、かならず役に立つ内容だと思いますし、昨今の状況ではやってないほうがおかしいくらいだと思いますね。これはフェニックスに限らず、日本大学全般に渡って行うべきことでしょう。


以上のようなことを考えていたときに、目についたnoteの投稿がありました。
ここでは宝塚歌劇団の問題について言及されていますが、これについては日大フェニックスにも当てはまるのではと思い、引用してみます。

「外と内」の区別が所属組織へのロイヤルティーを高めたり、閉じた徒弟制度によって長期目線で人を育てられたり、その結果が肯定的に働くこともあるだろう。しかし、組織の自浄作用や人材の多様性促進という視点からは、非生産的である。実際、芸能界でも学校でも実社会でも、組織の圧力に窒息するパワハラ事象が多いのが昨今の傾向だ。

宝塚問題に考える日本の「外と内」 小林 暢子さんのnote記事 

今回の投稿は、日本大学フェニックスの今後について、ともかく外部からの人材を受け入れ、所謂古い体育会系的な旧態然とした悪しき伝統を断ち切ることが重要であり、それが復活への第一歩ではないかという勝手な思いを書いてみました。

かなり私個人の妄想が入っていますし、あくまでいちファンとして、日本大学フェニックスを外部からみてきたものとしての勝手な意見であること、また何度も書きますが、日大内部の状況については外部から伺い知れる情報から組み立てたあくまでも私の妄想ですので、その点については十分ご承知おきください。

最後に危険タックルで混乱したチームを立て直した橋爪功氏がフェニックス監督退任まえにインタビュー(上に記事リンクあり)で答えた言葉を記します。
なんだか、今の状況を暗示しているように思えますね。

まだまだやり残した部分はある。でも、僕の契約が延長にならなかったのは、やり方が「日大式」ではなかったから、ということなのかもしれない

(上のリンク記事から)

以上、おしまい。

おまけ
このnoteにもたくさんの日大フェニックス廃部という話題について投稿されたものがあるんだが、「大学生の本分は勉強だから勉強すれば良い」とか「アメフト部って必要?」とか「日大にとってアメフト部につぎ込んだ資金以上になにか存在のメリットがあるの?」とか非常に「クール(?)」な意見も散見されるんだが、確かにある面正論ではあるのだけれど、だからってアメフト好きで多少なりともアメフト業界(っていうのか?)に足を突っ込んでいるモノとしては、そんな杓子定規に決められる問題ではないと考えるのですよ。
組織を壊すのは一瞬だけど築き上げるには長い蓄積が必要で、一度壊すと二度と戻らないものも多い。日本フットボール界に多大な貢献をしてきたフェニックスの廃部は、たとえば東大寺の大仏殿を「あんな大きな建物いらんでしょ。移転させて跡地を公園にすれば?」っていうくらいの暴論だと個人的には思うのですね。例えが不適切と言われるかもしれないけど、狂信的な一神教信者からすれば、奈良の大仏も醜悪な偶像にしか見えないかもしれず、奈良の大仏殿の構造物としての貴重さや大仏自体の宗教物としての神聖さなどが認識・理解できないのと同じくフェニックスがこれまで残してきた歴史的意義は理解してないものからすれば、フェニックス不要論について簡単に思いつく結論なんでしょうね。
そんな意見を得得として述べるコンサルを名乗る人がいたりして、もうちょっといろんな立場から考えてみてよ、そんな杓子定規な考え方はなんとかならんかなぁなんて思いますわ。

まとまりなくてすみません。

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