ひと夏の長さより、思い出だけ多すぎて(乃木坂46)
このnoteは乃木坂46についての個人的な妄想を書き連ねるために2022/02/13に始めたわけで、乃木坂を意識して追いかけ始めたその頃からまだ一年も経ってない。
ツアーにも参戦せず有料配信も見ることができなかったけれど、メンバーたちの活動や発言をそれなりに追っかけてきた。初めて意識して真夏の全国ツアーを眺め、地元開催のライブ会場近辺を歩き回って写真を撮ったりもした。そんな乃木坂46の様々な出来事で喜んだり心配したりしたのが2022年の夏だった。
そして季節は過ぎてゆき肌寒くなった頃、真夏の全国ツアーをはじめグループ活動を中心的に引っ張ってきた齋藤飛鳥が卒業することを発表した。
いつか来る日だとは気づいてはいたけれど、なんだか信じられないっていうか信じたくない気持ちだし、なにより一年前の自分にがこんな気持になるとは信じられない。
そんな気持ちを抱えて車の中で聞いた「ひと夏の長さより…」は、これまで聞いたどれよりも心に染みて運転しながら少し涙が溢れた。
この曲で歌われている主人公が恋した経験は、ワシのとって去りゆく初期(第一期)乃木坂に対する気持ちに重なってしまうから。
この曲については今年の夏のツアー前に卒業を発表した樋口日奈さんが今の自分の気持ちに近いという内容のブログを書いていて、乃木坂を卒業してゆく彼女にとって乃木坂で過ごした日々はかけがえのないものだったんだろうなと想像を巡らせて寂しい気持ちでいたけれど、ワシが乃木坂を追っかけ始めてから一期生の一人としてずっと乃木坂を引っ張り、後輩をサポートし乃木坂を守ろうとしてきた齋藤飛鳥という人が来年にはもういなくなるんだと思った時、その気持ちはこの歌詞の主人公の気持ちに通じるものがあるなとしみじみ思ってしまい、よけい心に染みたってわけです。
上に引用した記事を投稿したときには全然意識してなかったけれど、今では特に齋藤飛鳥にとって「この夏は特別だ」ったんだと思うと、やっぱいろいろな感情がこみ上げてくるね。
今がずっと続くと思い込もうとしていても、その心のどこかではいつまでも続かないとわかっているけれどそれを見ないふりしてて、でもそれが目の前に突きつけられた時にどう処理すべきか。
ワシが好きな乃木坂46というグループを作り上げてきたメンバーがワシが追っかけ始めてからも次々に卒業し、結成当初最年少だった齋藤飛鳥も卒業を決めた事で乃木坂という看板は残るものの中身はすっかり変わってしまう。(もちろんまなっちゃんや絢音ちゃんの二人がいるけれど)
齋藤飛鳥がかつての自分の姿を投影したであろう遠藤のさくちゃんもすっかり逞しくなったし、かっきーもりっぱなエースとして乃木坂を引っ張れるようになった。
いまや乃木坂の大黒柱となった3期生たちはそんな彼女後輩らを万全の体制でサポートしてゆくだろうし、これまで卒業していったメンバーが作り上げた、そして齋藤飛鳥というちょっと屈折してた少女を一人の大人の女性へと育んできたの乃木坂というグループを5期生含めてこれからもそのままずっと守り続けてくれるでしょう。
そんなふうに乃木坂はこれからもずっと続くと信じることができたからこそ、そして他の人達を心から信じることができるようになったからこそ齋藤飛鳥は卒業を決めたんでしょう。
世代交代が進み乃木坂はこれからもいろいろと変わってゆくだろうけれど、1,2期生が作り上げてきた乃木坂の中心的な部分はそのままずっと受け継がれて行くことでしょう。
これから齋藤飛鳥がどこへ向かって進んでゆくかはわからないけれど、彼女の行く先には幸せが待っていることを心から望みます。
なんて、まるで自分の娘を心配するような気持ちだな、これって。
もちろんいまの乃木坂には魅力的なメンバーがたくさんいるので、これからもどんどん応援してゆきたいと思っとります。
いつもどおり思いつきで書いてるから、全然まとまりないな。