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僕は僕を好きになる(欠点と思っていたことが長所になることがある その2 乃木坂46)

最近特にアルルが変わったんじゃないかって、それは自分で自分のことを好きになれたからじゃないかってことを書いたけれど、それって乃木坂の他のメンバーにも当てはまるよなーって思ったのが、7/24の乃木坂ANNにゲスト出演してた弓木の奈於ちゃんに対してですね。

今回の話題と関係ないけど、2024全国ツアー大阪に人生始めて参加した奈於ちゃんのおばあちゃんエピソード(今年のライブを人生初参戦で楽しんだおばあちゃんに、来年も来てねってって言ったときのやり取り)が、オチは予想はついたもののとてもうまい展開具合で、「弓木、腕上げたな」って思いました。

閑話休題

これまでも面白トークとして自分の失敗談を披露していて、それをアイドル弓木奈於のエピソードとして「いま」聞くととても魅力的で可愛らしく感じるけれど、これが当時のアイドルではない弓木奈於としてのものであったらやっぱちょっとねーって思いそうな気がする。たしかに転校することでハンドボール部マネージャーを辞めるに際して、部活のみんなが暖かく送り出してくれたっていうことは彼女の素の人柄が良いことの証明なんだろうけど、やっぱあんなあたふたしてちょいちょい意味不明な日本語を操るヒトが近所にいたら、いくら美人でスタイルが良いからって付き合い方を考えるし、ちょっと遠慮がちになるに違いないよ、少なくともワシは。

実際、新四期として参加直後はいわゆる「ねこを被って」て、その見た目にふさわしい大人しくお上品っぽさを醸し出していたのは(当時のキャッチフレーズの「はんなり、すっとこどっこい」は彼女の本質を的確に表してたけど)、やぱり過去の面白エピソード群は彼女にとってあまりよろしくない記憶だったんじゃないかって思ったりするし、彼女自身が持つ「アイドル」という理想像には不要な要素だったんじゃないかな。けれど現実にはアイドル活動する中で徐々に素の彼女が出始めてから注目を浴びてきたし、それに伴って人気も急上昇してきたわけですね。それを感じて、また乃木坂メンバーたちが素の彼女をそのまま受け入れてくれたことから彼女もこれまで引け目(たぶん)と感じてた「素の自分」が実は自分の魅力のひとつだと思い始めたんじゃないかな。

そんな弱み強みについて書かれたnote記事で面白いものがありました。

弱みが強みになったことは見たことがない。文脈を変えて長所にする

欠点が思っていることが、実は良いところであることが多い。上司、学校の先生、親が子供にできることで一番価値の高いことは、弱点をどう直すかではなく、弱点を「文脈を変えて長所にすること」である。
弱みが強みになったことは見たことはない。弱みの見せ方をポジティブに変えることしかできない。
成果、結果、プラスの影響はその人の強みからしか出てない。弱みを掘る=動かない定数にチャレンジしている行為。必ず強みから成果が出る。会社はつまり、結果的に「強み」にお金を払っている。

note ”初耳学で放送された「戦略家森岡毅氏のインタビュー」から、人生を生き抜くヒントを学ぶ”

「文脈を変える」てのが乃木坂ちゃんにとっては「アイドルになる」ことだったのかなって思ったりしましたけど。

またまた話は戻って。

アルルのときにも書いたけど、自分の欠点だと思ってたことが大きな魅力の一つになりうる、それはアイドルだからって部分もあろうけれど、アイドル以外でもやっぱ自分で欠点と思ってるところが実は長所(魅力)になってるってことはあるんだなって思います。もっともそれを実現するにはそのひとトータルとしての、あるいはそのひとの中で特に秀でた何か(引用記事で言ってる「それを実現するには文脈を変えること」を実現できる何か)があり(それは自分にとっては普通だからという理由で意識してないかもしれないけど)、一般に欠点と思われる部分もいわゆる「アバタもエクボ」的に感じられたり、それがあることで強みにすることが必要なんだけど、ジッサイそれがなかなか難しいのはわかっている。わかっているけれど、最初っから失望することはないし、無理に自分の素を捻じ曲げる必要もないと思うよ。

ということで、またまたまとまりのない内容ではありますが、それっぽいことを言ってるのをちょこっと載せときます。

自己肯定感は自分を優れていると思うことではなくて、優れていなくてもダメでも「それでも自分は大丈夫だ」と思えること

中西アルノ

僕は僕を好きになる

乃木坂46 26thシングル表題曲の歌詞

また書きますね。

って、トップ画像で自分の写真集をなおちゃん、なぜ裏表紙を見せびらかしている?


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